10.王妃の器
『メイっぴー! まじでテンスリーやっつけちゃったじゃん! すごすぎるって!』
自室に戻ったメイは、アカリのまっすぐな賞賛を受けた。
「ありがとうございます。アカリさんのおかげでもあるんですよ」
『あたしの?』
「そう。ほら、いつだったか……そう、お酒を飲んでいたから、実家に帰った時です。その時、アカリさんが伯爵の話題を出したでしょう?」
『あー、あったねー。メイっぴ酔っぱらって、テンスリーのことボロクソに言ってた!』
アカリのさっぱりとした口調に、メイは思わず笑ってしまった。
「そうです。あれで気づいたんです。テンスリー伯爵なんて、身分から言ったらずいぶん下。改めて考えたら、アイリーンさまにお会いになることすら恐れ多いって。だから、勇気が出ました」
『そうなんだ! なんかキッカケになれて嬉しいよ! ――テンスリーやっつけたから、当面は大丈夫かな』
「おそらく――」
メイはそう言いながらも、一抹の不安を抱えていた。前回、テンスリー伯爵はもう一度来た。そして、アイリーンさまは伯爵の話に乗ってしまった。
そうならないように、用心していなければ。
◆
庭園を散歩するアイリーンの後ろを、メイは静かに付き添っていた。
このところ平和だ。テンスリーはその後、来ることはなかった。
穏やかな午後。先を行くアイリーンの髪を、風が揺らす。キラキラと燐光を放つ髪は、ガゼボの前でぴたりと立ち止まった。
「聖女さま、また来てるわね」
ガゼボのほうをよく見ると、アイリーンの兄ユウヒと聖女が、お茶をしながら談笑しているのが見える。そのそばには、マクレーが控えている。
「そういえば、そうですね」
聖女の目的はユウヒだ。アイリーンを訪ねてくることはなかったから、メイはあまり意識をしていなかった。
「お兄さま、よくあの聖女と仲良くできるわね……」
アイリーンは低くつぶやく。召喚したての頃、聖女はアイリーンを何度か訪ねていた。礼儀をわきまえない自由闊達な聖女たちを、アイリーンは疎んでいた。メイも、彼女たちをあまり好きになれなかった。
「元素を満たすために必要だから、じゃないですか?」
「そうね。――そういえば、あの噂は本当かしら?」
「噂というと」
「ふたり召喚されたうちどちらかは国に残って、元素を満たし続ける存在になるって」
「それは――ないんじゃないですか」
メイは少し言葉を濁した。その噂の続きは「元素を満たし続ける者として、次の王妃になる」という内容だ。
つまり聖女は、まだ婚約者のいないミハエル第二王子の妻となり、そのミハエル王子が次の王となる、ということだ。それはアイリーンの婚約者、デュラン第一王子の失脚を意味する。
「私は」
立ち止まったアイリーンは、遠い目をして口を開く。
「デュラン殿下が王にならなくても構わないわ」
メイのごまかしを読み取ったかのようだ。メイは恐れ入り、主人の次の言葉を待った。
「ただ、聖女さまがお后さまになるってのは、現実的ではないわね。国は――ただ元素が満ちていれば成り立つものではないもの」
アイリーンが軽く首を振ると、ゆらゆらと髪が揺れた。
「后となれば、膨大な人と関わりを持ち、時には国の重要事項を決断しなければならない。国民の信頼、閣僚の掌握、諸外国との交渉、すべてが関わって国は成り立っている。別世界から来た聖女さまには、王妃は務まらないわ」
伸びた背筋、凛とした横顔。少しとがったバラ色の唇から放たれる演説は、玲瓏たる歌のようだ。
「もし、ミハエル王子が聖女さまを娶って王になるなら」
アイリーンは、決意を秘めた青い瞳でメイを見つめる。正確には、メイのシルエットに投影した、形而上的な婚約者を。
「私はそれを阻止して、デュラン殿下を王にする。私は、王妃として殿下を補佐するわ」
「……はい!」
涙が出そうだ
メイはアイリーンを、心から尊敬している。心酔していると言ってもいい。それゆえ、アイリーンのすべてを理解していると自負していた。
(でも、アイリーンさまは)
メイの想像をやすやすと越える器を持っている。個人的な感情で聖女を疎んでいるのではなく、国のことを考えているのだ。あの深い湖のような瞳は、メイには見えない、大きなものを見ている。
アイリーンは踵を返し、すたすたと歩き始めた。淡く光るパールの髪を、あるかなしかの風が揺らす。
――この美しく聡明な姫を、絶対に処刑なんかさせない。
(王妃にふさわしいのは、アイリーンさまだけ)
◆
その夜、メイは廊下で、使用人へ手紙を配っているマクレーに出くわした。
「メイ、お前に手紙きてるぞ」
「あんたが伝令やってるなんて珍しいじゃん」
そう言いながら、メイは手紙を受け取る。差出人の名前を見て、緊張が走る。実家からだ。
(もしかして)
すぐに内容を検めると、それは母の危篤を知らせるものだった。
(これはきっと誤報。明日には、容態が回復したと、改めて手紙がくるはず)
とはいえ、前回と同じようになるとは限らない。少なからず動揺し、立ち尽くしたメイに、マクレーが声をかける。
「メイ、それ実家からだろ? 何かヤバイ知らせなのか?」
表情には出さないように気をつけていたはずだ。しかし、マクレーに悟られてしまった。
(さすがは、次期侍従長)
マクレーほど、人の心の機微に敏い男はいない。本人さえ気づかない些細なことでも見抜き、先回りしてしまう。侍従にしておくにはこれ以上ない人物だが、尋問相手としては分が悪い。
「うん、まあ……」
とっさに何と答えていいのかわからず、メイは曖昧な返事をした。マクレーは視線だけで、メイに続きを言うように促してくる。
母のことがマクレーに知られれば、マクレーは実家に帰るよう言うはずだ。マクレーは、そういう男だ。
(でももう、ごまかしきれない……!)
マクレーの視線が痛い。
「お母さん、病気で倒れたんだって。帰ってくるように書いてある……」
「ええっ!? おばさんが? すぐに帰ってやれよ!」
「で、でもさ、マクレーも知ってるでしょ? うちのお母さん、あわてんぼうだって。たぶん――これも、慌てて送っちゃっただけで、明日にでも、間違いでしたって連絡くるよ」
我ながら、苦しい言い訳だ。とにかく、誤報で帰るわけにはいかない。メイ自身、母の様子が気になるが、前回のこともある。アイリーンさまとテンスリー伯爵を会わせないためにも、一日待ちたい。
マクレーは、ふうっと一息つき、
「明日までに連絡がなかったら、絶対帰れよ」
と言った。
「うん、わかった」
何とかこの場を切り抜けたことに、メイは安堵した。
(お母さん、ごめん! でも、大丈夫だよね! お願いだから、大丈夫でいて――!)




