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黒髪と魔の者

 足元の枯れ葉がざくざくと音を立てる。


 鬱蒼とした森の中を奥へ奥へと進んで行く男の不安を煽るかのように、枯葉を踏みしめる音以外は鳥の囀りさえ聞こえない。

 上官からはただ「真っ直ぐ進め」と命じられただけだが、本当に真っ直ぐ進めているかどうかは分からない。何しろ森の中は何処を見渡しても木ばかりの似たような風景で、方向を見定めようにも生い茂る木が邪魔をして太陽が今どの辺にあるかも分からないのだ。



 体感で一時間程歩いただろうか、突然全身にぴりりとした痛みが走った。おそらく事前に知らされていた『結界』を越えた合図だ。


 そのまま歩みを進めたが特に変化はない。

 どうやら受け入れてはくれたようだと男がほっとひと息ついたのも束の間、目の前の木陰から大きな黒い獣がのそりと姿を現した。大人の男ほどもある四つ足の黒い獣は黒い尾を一振り、ゆっくりと男の方に進んでくる。咄嗟に剣を抜き身構えると、獣が金の目を細めにやりと笑った──ような気がした。


「お前が新しい連絡係か」


 人語を発したことで、獣が森の主の使いだと気がついた男は慌てて剣をおさめる。


「私は──」


「俺に名乗りはいらん」


 黒い獣はそう言うと“黙ってついて来い”と言わんばかりにすたすたと歩き出した。男はその後を小走りについて行きながら、この森に入るに至った経緯を思い出していた。






 男の名はマヴラという。平民である彼はただのマヴラだ。

 だが整った顔立ちとその名前の由来となった黒髪マヴラマリアのせいで、友人たちから『マリアちゃん』と揶揄われることも少なくなかった。

 一兵卒から分隊長になってからは人前でそう呼ばれることは無くなったが、貴族出身の兵士たちに陰で「男娼マリア」と呼ばれているのは知っていた。彼らは平民のマヴラが二十歳そこそこで、隊長や師団長に“取り入って”分隊長になったのが気に入らないそうだ。


 マヴラに言わせれば取り入るも何も、散々厄介な任務を押し付けられそれを淡々とこなしているうちにいつの間にか分隊長になっただけだなのだが。


 貴族のお坊っちゃまを相手にするのが面倒だったマヴラは、陰口なんぞで腹は痛まないと敢えて訂正せずそのまま放置していた。ただ陰口を真に受けた()()()()()()にはきっちり拳で対応し、しっかりと誤解を解く事にしていた。


 とにかく貴族が見当違いな妬心を抱こうがマヴラはどこ吹く風で、しかも平民の彼には貴族子弟にありがちな妙なプライドなど皆無だった。そこが上官にとって色々と使い勝手が良いらしく、今回のように皆が二の足を踏むような『魔の森』行きの任務が押し付けられたのだ。



 魔の森。

 入らずの森とも呼ばれるその場所は、王国にあって王国に非ず魔の者が支配する場所だ。人の手の入らない魔の森は自然の恵み豊かな場所で、尚且つ魔石が取れる場所でもあるらしい。

 魔の者は決して狭量ではなく、近隣の村民が薬草目当てに森の浅いところに分け入るのは黙認している。だがそれ以外の者が不用意に森に踏み入れば、散々森の中を歩かされた後、持ち物を全て失った挙句荒地に放り出され半死半生の目に合う。

 そして一攫千金の魔石目当てに、明確な意思を持って森の奥へ踏み入れば森の獣の餌となる。運よく餌となるのを免れたとしても五体満足では森から出ることも叶わず、森から抜け出せてもその後気が触れて二度とまともには戻らなかった。


 そんな恐ろしい魔の森だが、王国は建国当時から魔の森の主との繋がりをなんとか維持していた。何故ならば王国は常に魔の森にある魔石を欲していたからだ。

 魔の森で採れる魔石は透明度が高く魔力を豊富に含んでいた。属性を問わず汎用性が高い魔の森産の魔石は、様々な魔道具を動かすことが可能で王国では欠かせない物だった。


 しかしてマヴラの前任者は連絡係はというと、どうやら魔の者の逆鱗に触れたようで右腕一本のみを残して行方が分からなくなってしまった。何をしでかしたのかマヴラには知る由もないが、これまでのことから考えるに右腕以外の行方は推して知るべし(獣の腹の中)といったところだろう。


 そんな苛烈な魔の者と王国との繋ぎ役となるのが、今回マヴラに与えられた任務だ。

 連絡係という役目は、ある意味王国の根幹に関わる外交のようなもので(名前は陳腐だが)大層な名誉職で、これまでは貴族子弟がこぞって名乗りを挙げていた。

 だが上位貴族の三男坊であった前任者があんなことになったせいで、誰も──特に貴族は──引き受けたがらなくなってしまった。おまけにその時の事後処理で苦心惨憺した軍の上層部の鶴の一声で、()()()()()()()()()尚且つ辛うじて役職のある人物として白羽の矢が刺さったのが、平民のマヴラ分隊長だったのだ。






 ひどい話だよなと思いながら、マヴラが黒い獣に先導され着いたのは、そこだけぽっかりと地面が剥き出しになった場所に建つ、鬱蒼とした森に不似合いな赤い三角屋根の二階建ての家だった。


「お前が新しい連絡係か」


 建物の前に立っていた女が黒い獣と同じセリフを吐いた。女を視認した途端、マヴラはそれまでの緊張感も返事も忘れ、ぽかんと口を開けた。


「……ゾイ、此奴口がきけんのか?」


「森で声を聞いたから喋れはするんじゃないか」


 ゾイと呼んだ足元の黒い獣と会話する女は、マヴラとそう年齢は変わらないように見える。背中まである長い髪は魔の森と同じ深い緑だが、その瞳は夏の空のような澄んだ青色だ。すらりとした肢体に簡素な生成りの衣装を纏っているだけだというのに優艶で、今まで見たどんな女よりも美しかった。


「おい。何時までその間抜けづらを晒しているつもりだ」


 魔の者はその細い指先で呆けたままのマヴラの胸を突っついた。はっと我に返ったマヴラは自分の名と身分を魔の者に告げた。



「し、失礼しました。私は第三師団で分隊長を務めているマヴラといいます。私は市井の民なので言葉遣いはその、あまり上等ではないのでこれで勘弁してもらえませんか」


「言葉など相手に通じればそれで充分だ。それにしても今回はえらく下っ端を寄越したな。前回は少佐だか中佐だかでやたら態度がでかい優男だったが」


「ああ。いけ好かん奴だった。あれは色仕掛けでアーシアをどうにかしようとしていたんだぞ」


 マヴラについて身も蓋もない感想を述べたアーシアに対し、ゾイが前任者についてとんでもない事を暴露した。


「それでやたらとクサいセリフを撒き散らしておったのか。阿呆だな」


「阿呆だ。だから森の糧になった」


「で? お前が次の色仕掛け要員なのか()()()とやら」


 アーシアは美しい笑顔をマヴラに向けたが、その青い目は剣呑な光を帯びていた。彼女の足元のゾイも口の端を持ち上げ鋭い牙を覗かせる。


「と、とんでもない! あんたは確かにいい女だが俺はまだ命が惜しい!」


 敬語も何もかもかなぐり捨てたマヴラは、ぶんぶんと力の限り首と両手を振る。その必死な様子にアーシアとゾイが声をたてて笑った。






 喉元に刃物を突きつけられたような心持ちのままだったが、取り敢えずマヴラはアーシアの棲家へ招き入れられた。一緒に家の中に入ったゾイはそのまま奥の部屋に行ってしまった。


「さてお前は何処まで説明を受けている?」


「今日はとにかく魔の森の主に会って来いとの命を受けました」


「成る程。私が気に入らんと判断すれば交換も可能という訳だな」


「交換、ですか?」


 相手の胸三寸で生死が決まる任務などできれば辞退したい。任務失敗で降格されたとしても、獣の糞に成り果てる未来よりはずっとましだとマヴラは思った。

 そんな彼の考えを見透かしたのかアーシアはにやりと笑う。


「生憎だが交換はない。結界を超えられた時点で合格なのだよ。おめでとうマヴラお前は今日から『連絡係』という私の犬だ。しっかり働けよ。それでだ。取り敢えず注意だけしておく。ここでのことは他言無用だ。そして獣の糞になりたくなければ私に逆らうな」


 いくら見目が麗しかろうとも魔の者は魔の者だ。マヴラの生殺与奪の権は魔の森に踏み入れた時点で既にアーシアに握られていたのだ。

 






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