7.護衛の任(2)
エレインはアナベラに許されてソファの対面に座るが、騎士服に慣れすぎていてお仕着せでは据わりが悪い。
テーブルに用意されている紅茶と菓子台にある菓子の甘い香りがエレインの鼻腔をくすぐり、つい視線がそちらに向かってしまう。
アナベラはエレインの子供のような正直な視線に微笑むと、どうぞお食べなさいと菓子台に手を向けた。
「この国は大らかでわたくし大好きよ。こんな風に騎士に侍女の格好をさせて一緒にお茶を飲むなんて、祖国では考えられないわ」
「普通はそうですよね」
「王族と臣下、貴族と平民との距離は果てしなく遠いわ。不敬なことをすれば投獄される。今思えば息苦しい国だったわ。だから、あなたもこの国を嫌いにならないでね」
「もちろんです」
立ち上がったアナベラは執務机の引き出しから封蝋の押された一通の封筒取り出すと、エレインに差し出した。
「この手紙を魔法士団長に渡しに行ってもらえるかしら? 誰かに預けては駄目よ。目の前で本人に渡してちょうだいね」
よくは分からないが重要そうな手紙だと察したエレインは、お任せ下さいと言ってアナベラの部屋を出た。
アナベラの私室へとやって来たカーティスは、ソファに座って沈んだ様子を見せる妻と、護衛のはずのエレインの姿がないことでアナベラの考えを察したようだった。
アナベラの隣に腰を下ろすと、アナベラの頭を自分の肩をと倒して肩を抱いた。
「なんだ、とうとうエレインに知らせる覚悟ができたのか」
「魔法士団長に任せることにしたの。でも、あの子に嫌われてしまったら悲しいわ」
まだ膨らみのない腹を押さえながらアナベラは眉を曇らせている。気持ちが分からないでもないので、カーティスもそれに同意してみる。
「子供の頃から時間をかけて育てて来た駒だからな」
「どうしてそんな偽悪的なことしか言えないのかしら。他に換えが利かないくらいに可愛がっている駒なのに」
不安抱えて祖国から狭間の国に嫁ぐ道中、アナベラは祖国の人間に浚われるかもしれない、殺されるかもしれないという恐怖に震えていた。
自分の危険を省みず、初めて会ったアナベラの危機を救おうとしたエレイン。
どうして心開かずにいられようか。
「なんで突然その気になったんだ?」
「ロイに贈られたエレインの指輪を見たの。わたくしにはエレインの全身に巻き付く蔦のように見えたわ」
「あの子供の執着を考えると不思議でもないな」
「わたくしはあの子が恐ろしいのよ」
あの指輪はロイが自分の所有を示すためにつけた印だ。
以前よりアナベラと魔法士団長は、エレインにいつ知らせるべきかと時機をうかがっていた。ロイがあれだけ強い執着を示す相手だ、ロイを今の場所に引き留めるためにはエレインの協力が不可欠だからだ。
エレインの気持ちを考え延ばし延ばしにして来たが、ロイがエレインが印をつけたのだから、これ以上は見過ごすわけにはいかないと決心をした。
ロイには魔性が混じっている。
ロイは魔法士団の誰にも気づかれることなく、当の本人であるエレインにも隠しているようだが、魔法士団長とアナベラにはロイが異質なものとして目に映っている。
「どこまで話すかは魔法士団長次第ね」
人任せにしてしまって申し訳ない気持ちもあるが、その役目は任せることにしてある。
◇
第二王子の宮殿から魔法士団本部の建物までは貴族であれば馬を使って移動するが、エレインにとっては多少時間がかかるが、十分に歩いて行ける距離だ。
第二王子宮を出て魔法士団を目指して歩いていると、遠くに巨大な雲が見えた。
雨に降られる前にと足を速めると、大粒の雨がエレインの頭上に落ちてきた。足にまとわりついて走り辛い格好でどうにか魔法士団の建物内へと駆け込んだが、思ったほどは濡れてはいないようだった。
服についた雨水を手で払い落とすと、団舎の入口に立つ門衛に魔法士団長への取り次ぎを願った。
「第二王子妃殿下より書簡を預かって参りました。直接お渡しするよう仰せつかっておりますので、魔法士団長殿にお目通り願います」
魔法士団長への確認のためしばらく待たされた後に、魔法士団長の執務室へと案内された。
魔法士団の建物は外から見ることはあっても中に入ることはないため、案内の魔法士には気づかれない程度にきょろきょろと周りを見渡す。華美な装飾もない簡素な内装の石造りの建物だ。
階段を上った最奥の部屋が魔法士団長室だ。
両開きの扉を入ってすぐの部屋は応接間でソファや低いテーブルが置かれていた。そのソファに座っているのは髭を蓄えた白髪の老人、魔法士団長その人だった。
「こんな雨の中ご苦労様」
物腰柔らかい老人がエレインを招き入れると、案内をして来た魔法士はそのまま退出していった。二人きりになった室内で、アナベラから預かった封書を魔法士団長に渡すと、その場で封蝋を開けて中に目を通し始めた。
アナベラの書状に目を通していた魔法士団長は顔を上げると、目尻に皺を寄せてエレインに柔らかく微笑んだ。
「アナベラか。会うのは子供の頃以来だね」
「ご無沙汰しております」
カーティスに引き取られた後、エレインは魔法士団の宿舎で暮らしたことがあった。
ロイには魔法士団が欲しがるほどの魔力があったが、エレインは力もないただの子供でしかも女児だ。騎士団がいい顔をしなかったので、エレインの行き先が決まるまではロイと同じ部屋で生活していた。
カーティスの働きにより、それから程なくしてエレインは騎士団の宿舎へと移り、それ以来ロイとの関わりはできるだけ断つようにしていた。
「騎士団はどうだい?」
「まだまだ未熟ではありますが、騎士として邁進しております」
そうかと魔法士団長が目を細めた後、膝の上で重ねられたエレインの手に視線を注いだ。
「それはロイが渡した指輪かな?」
エレインがぎくりと肩を震わせる。何の変哲も無い指輪に見えるが、魔法士団長が目ざとく見つけるほどの指輪なのだろうか。
突っ返してしまいたいがどうやっても抜ける気配がない。さすがに普通の指輪ではないのではないかと思い始めたところでの魔法士団長の質問だ。
焦ったエレインが恐る恐る魔法士団長を見上げた。
「もしかして高価な物ですか?」
「……いや、それはエレインにしか価値のないものだね」
よかったとエレインが安堵の息を吐いた。
「怪我をしないようにとロイからもらいました」
「ちょっと見てもいいかね?」
エレインが何の躊躇もなく左手を差し出すと、魔法士団長がその手を取ってじっと小指をの指輪を見ていた。
ふっと笑ったような声が聞こえたかと思うと、うっすらとその口の端を上げている。
「どうかなさいましたか?」
「見事な作りだと思ってね」
「確かに、繫ぎ目も見えないですね」
それ以降魔法士団長は黙り込んでしまった。
雨がやまないのでしばらく雨宿りをさせてもらおうとは思っていたが、それはこの場でなくていい。
「それではそろそろ失礼いたします」
腰を上げて退出の意思を示したところで、先ほど退出した魔法士が飲み物を運んで来た。エレインは間が悪いと心の中で毒づきながら、浮かせかけた腰をソファに戻した。
「我が国は今まで一度も侵攻されたことはないんだよ。どうしてか分かるかな?」
唐突な問いかけに何と答えるのが正解なのかとエレインは必死に考えたが、思わず口から出たのは不敬ともいえる一言だった。
「小国だからですか?」
「面倒な国だからだよ。責任が重たく、危険で巻き込まれたくない。誰も手を着けたくないから侵攻されない」
「何に巻き込まれるのですか?」
魔法士団長の言わんとすることが理解できないエレインは気抜けしたような顔でそう尋ねた。魔法士団長はすっと目を細めるとエレインを凝視して口を開いた。
「女神の聖鏡の話を聞いたかな?」




