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淡々晋書  作者: ンバ
第百、王弥伝
95/313

五・六、独立を目論む

5.

彌之掠也,曜禁之,彌不從。曜斬其牙門王延以徇,彌怒,與曜阻兵相攻,死者千餘人。彌長史張嵩諫曰:「明公與國家共興大事,事業甫耳,便相攻討,何面見主上乎!平洛之功誠在將軍,然劉曜皇族,宜小下之。晉二王平吳之鑒,其則不遠,願明將軍以為慮。縱將軍阻兵不還,其若子弟宗族何!」彌曰:「善,微子,吾不聞此過也。」於是詣曜謝,結分如初。彌曰:「下官聞過,乃是張長史之功。」曜謂嵩曰:「君為硃建矣,豈況範生乎!」各賜嵩金百斤。彌謂曜曰:「洛陽天下之中,山河四險之固,城池宮室無假營造,可徙平陽都之。」曜不從,焚燒而去。彌怒曰:「屠各子,豈有帝王之意乎!汝柰天下何!」遂引眾東屯項關。



(訳)

王弥の略奪を劉曜は禁じたが、

王弥は従わなかった。


劉曜は王弥の牙門の王延おうえんを斬って

従わせようとしたが、王弥は怒って

劉曜とお互いに攻撃し合い、

死者が千人余りにのぼった。


王弥の長吏の張嵩ちょうすうが諫めて言った。


「明公は国家と共に大事を興し、

事業を補佐する立場にありながら

たちまちに相攻撃しあって、

どんな面目で主上に見えられるのですか!?


洛陽を平定した功績は、

実際、将軍におありになりますが、

しかれども、劉曜は皇族ですぞ。

ここは、下手に出るべきです。


晋の二王(王渾おうこん王濬おうしゅん)が

呉を平定した際の、教訓とすべき出来事は

決して遠い昔の事ではございませぬ。


願わくば明将軍、

この事を慮られますよう。


もし将軍が兵を阻んで帰らなければ、

若年の子弟や宗族はどうなるのですか!?」


王弥は言った。


微子びし(殷の紂王を諌めた兄)よ、わかった。

我は、自分の過ちに気付かぬところだったぞ」


こうして、王弥は劉曜を詣でて謝罪し、

元どおりの関係を結んだ。


王弥は述べた。


「下官(私)は自分の過ちに気付かされました。

これはすなわち、張長吏の功績です」


劉曜は張嵩に対して言った。


「君のことを

朱建(英布の反乱を諌めた男)と思っていたが、

どうして範生でないと言えようか!」


王弥と劉曜はおのおの

金百斤を張嵩に下賜した。


王弥は劉曜に対して言った。


「洛陽は天下の中心であり、

四方は険しき山河で固められております。

城郭・宮室を仮にも造営する必要はなく、

平陽からここへ、都をうつすべきではないかと」


劉曜はこの提案に従わず、

洛陽を焼いて去ってしまった。


王弥は怒って言った。


「※屠各とかくの小僧めが!!!!

(※匈奴の中心種族)


どうして帝王の意思がわかろうか!!

汝は、天下をどうするつもりだ!!!!」


かくて軍勢を引き連れ、東の項関に駐屯した。



(註釈)

劉淵とは仲良しこよしの

王弥でしたが、劉曜とは反りが合いません。


劉曜「王弥、略奪はやめろォ!!」


王弥「いやです」


劉曜「言うこと聞けよ! もう、見せしめにあいつの部将殺せ」


王弥「てめっ……なにさらすんじゃコラァ! ぶっ殺したる!!」


〜部下の仲裁で仲直り〜


王弥「洛陽に遷都しませんか?」


劉曜「却下。洛陽なんか燃やしちゃえ。さ、引き上げるぞ」


王弥「このクソガキーッ! どういうつもりだぁあ!!」



いやー、全然噛み合ってない。



もともと劉淵とのよしみから

傘下に入ったってだけなので、

彼が死んでしまった今となっては

漢に留まる理由もなくなりつつあります。


「範生」って誰のことだろう。


蕭何を諌めたのは鮑生か

越王勾践の参謀の范蠡はんれいのことかな?



6.

初,曜以彌先入洛,不待己,怨之,至是嫌隙遂構。劉暾說彌還據青州,彌然之,乃以左長史曹嶷為鎮東將軍,給兵五千,多齎寶物還鄉里,招誘亡命,且迎其室。彌將徐邈、高梁輒率部曲數千人隨嶷去,彌益衰弱。


(訳)

当初、劉曜は王弥が自分を待たずに

先んじて入洛した事を怨んでおり、

ここに至りて、

その不和はいよいよ表面化した。


劉暾りゅうとんは王弥に、

一旦戻って青州(王弥の故郷)に

拠るように説いた。


王弥はこれを尤もだと考え、

そこで、左長史の曹嶷そうぎょくを鎮東将軍に任じ、

五千の兵を支給して、多くの宝物を持たせて

郷里へ帰らせることで、亡命した者を招致し、

かつ、彼らの宗室を迎え入れた。


王弥の部将の徐邈じょばく高梁こうりょう

部曲数千人を率いて

曹嶷にしたがおうと去って行ってしまい、

王弥はますます衰弱した。


(註釈)


徐邈じょばくは魏の涼州刺史ではなく

同名の別人です。


まだ劉淵が生きていた頃に

王弥は配下の曹嶷そうぎょく

青州の攻略を命じており、

劉淵の許可の下、実行に移されました。


この曹嶷がかなり頑張ったらしく、

西晋側のエースの苟晞こうき

直接引っ張り出します。

苟晞にはじめは連敗を喫しましたが

徐々に勢いを盛り返して逆転。



西晋の司隷校尉だった劉暾りゅうとん

同郷人のよしみから、

洛陽の陥落時に王弥の幕下に入ります。



王弥と石勒の弥勒コンビは

お互いに警戒し合っており

排除する機会を窺っていました。


そこで劉暾りゅうとんは、

「曹嶷を青州から呼び戻して

石勒を挟み撃ちにしましょう。

そのあと青州で独立されては?」


と提案してきます。

この作戦に乗る王弥でしたが…………

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