八、曹操薨去
8.
及魏武薨于洛陽,朝野危懼。帝綱紀喪事,內外肅然。乃奉梓宮還鄴。
(訳)
魏武が洛陽で薨去するに及んで
朝野は危ぶみ畏れたが、
宣帝が葬儀を取り仕切ると
内外は粛然となった。
そうして梓宮(棺)を奉じ、鄴へと還った。
(註釈)
220年春、
曹操が《《薨》》去しました。
享年六十六。
皇帝が亡くなった場合
「崩」という表現を使うのですが、
曹操は皇帝に数えられていないという事です。
曹操の葬儀まで司馬懿が喪主みたいに
書かれてるのはさすがに……
魏書賈逵伝では賈逵が
喪主のように書かれています。
220年は漢の「建安」25年。
曹操の死により「延康」に改元され、
更に漢の献帝から曹丕に禅譲が行われ
魏が建国されるとともに
「黄初」に改元されており、
同年に元号が二回変更されるという
ちょっと珍しい年になっています。
皇帝でなく、一臣下の死によって
改元が行われるのは異例だそうで、
曹操の権威は殆ど皇帝同様だった事が
窺い知れる一幕となっております。
劉備はライバルの死を悼んで
弔問の使者を遣わしますが、
曹丕は父の死にかこつけて
誼を結ぼうとする態度に怒り、
使者を斬ってしまいました。
曹丕は好きですが
器ちっちぇえなぁと思います。
曹操配下の重臣である
夏侯惇や程昱も
この歳に亡くなっています。