表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
淡々晋書  作者: ンバ
第百一、劉元海載記
82/313

八、匈奴漢誕生

8.

穎為皇太弟,以元海為太弟屯騎校尉。惠帝伐穎,次於蕩陰,穎假元海輔國將軍、督北城守事。及六軍敗績,穎以元海為冠軍將軍,封盧奴伯。并州刺史東嬴公騰、安北將軍王浚,起兵伐穎,元海說穎曰:「今二鎮跋扈,眾餘十萬,恐非宿衛及近都士庶所能禦之,請為殿下還說五部,以赴國難。」穎曰:「五部之眾可保發已不?縱能發之,鮮卑、烏丸勁速如風雲,何易可當邪?吾欲奉乘輿還洛陽,避其鋒銳,徐傳檄天下,以逆順制之。君意何如?」元海曰:「殿下武皇帝之子,有殊勳於王室,威恩光洽,四海欽風,孰不思為殿下沒命投軀者哉,何難發之有乎!王浚豎子,東嬴疏屬,豈能與殿下爭衡邪!殿下一發鄴宮,示弱於人,洛陽可復至乎?縱達洛陽,威權不復在殿下也。紙檄尺書,誰為人奉之!且東胡之悍不逾五部,願殿下勉撫士眾,靖以鎮之,當為殿下以二部摧東嬴,三部梟王浚,二豎之首可指日而懸矣。」穎悅,拜元海為北單于、參丞相軍事。元海至左國城,劉宣等上大單于之號,二旬之間,眾已五萬,都于離石。


(訳)

司馬潁しばえいは皇太弟となり、

元海は太弟の屯騎校尉とんきこういとなった。


恵帝が司馬潁を討伐せんとして

蕩陰とういんに宿営すると、

司馬潁は元海を輔国将軍、

督北城守事に仮した。


六軍が敗北を重ねるに及んで

司馬潁は元海を冠軍将軍とし

盧奴伯ろどはくに封じた。


并州刺史・東嬴とうえい公の司馬騰しばとう

安北将軍の王浚おうしゅん

司馬潁討伐の兵を起こした。


元海は司馬潁に説いて言った。


「今二鎮(司馬騰と王浚)が跋扈ばっこして

その軍勢は十万余りです。

恐らく、宿衛及び都近郊の士卒では

これを防ぐことは出来ますまい。


殿下のために還って五部を説き

国難に赴きたく存じます」


司馬潁は言った。


「五部の軍勢は、既に

徴発されたのではなかったのか?


よしんば徴発できたとしても、

鮮卑・烏丸は風雲の如くにつよくて素早い。

どうして(匈奴が)容易に当たれようか?


吾は乗輿じょうよ(天子=恵帝)を奉じて

洛陽へ戻り、彼らの鋭鋒を避け

徐に天下に檄文を伝えて

逆順を以て制すつもりでいる。

君の考えはいかがか?」


元海は言った。


「殿下は武皇帝(司馬炎)の御子で

王室に殊勲がお有りになります。


威光と恩徳は満ち

四海はその英風を慕っており、

殿下のために命を賭し

我が身をなげうつことを

思わぬ者などおりましょうか。


王浚は豎子じゅし(青二才)、

東嬴公は傍系に過ぎません。

どうして殿下と対等に争えましょう?


殿下が一旦鄴宮から出発なされば

人々に弱きを示す事になり、

洛陽に再び辿り着けますか?

例え洛陽に到達できても

殿下の権威は取り戻せませんぞ。

紙きれとなった檄文など、

そんなものを誰が奉ずるというのです!!


かつ、東胡(鮮卑と烏丸)の精悍さは

我々五部には及びませぬ。


願わくば殿下には、士卒の安撫に勉め

靖綏せいすいを以てこれを鎮めていただき、

まさに殿下のために

二部を以て東嬴公を挫き、

三部にて王浚を晒し首にせんとし、

この豎子二名の首を

期日を定めて懸けることができます」


司馬潁は悦び、

元海を拝して北単于・

参丞相軍事とした。


元海は左国城へと至り

劉宣らから「上大単于」と号され、

二十日の間に軍勢は五万まで膨れ上がり

離石りせきに都を定めた。


(註釈)

豎子じゅし


鴻門こうもんの会が終わった後に

范増はんぞうが項羽に言ってたやつですね。




范増

「豎子(青二才)めが!


儂はもっとお前を買っておった!

なのに、まんまと劉邦に

騙くらかされおって!


ともに語るような男ではない!」



項羽

「な……なんだと!?

いくら亜父あふでも口が過ぎるぞ!


亜父も見たであろう。

劉邦の情けない姿を!!

あれは大事を成せるような

男では断じてない!!」



范増

「これだけ言うても

お前には、まだ

劉邦の恐ろしさがわからんのか!!」



という、横山項范のやりとりがすき。




290年代、

恵帝の皇后の賈南風かなんぷう

権力欲に取り憑かれて

司馬懿の三男、司馬亮しばりょう

恵帝の長子、司馬遹しばいつを謀殺したり

廷医やイケメン下男と私通するなど

(楽しんだ後は口封じに男を殺す)

やりたい放題でした。


生前の司馬炎は

彼女を廃立しようとしたり

その振る舞いに激怒することはあっても

誅することまではできず、

結局は劉淵と同じパターンで

「問題先送り」にしちゃってたツケが

ここでどっと借金のように襲ってきます。



賈南風が皇太子を殺めたことに

怒った趙王・司馬倫しばりんと側近の孫秀そんしゅう

とうとう賈南風討伐に乗り出し、

賈南風と賈一族は粛清されました。


この時300年の4月です。


賈南風が死んで平和になると思いきや、

今度は権力を独占した司馬倫しばりん

恵帝に退位を迫ってきます。

(恵帝はお飾りのアホウ扱いだった)


司馬倫は諸王を敵に回して抹殺され

次は斉王司馬冏(しばこう)が権力を握り、

成都王の司馬潁しばえいらが排除に動くも

長沙王の司馬乂しばがいに掻っ攫われ、

追うのもめんどくさくなるほどの

グダグダが続きます。これはひどい。


復位した恵帝を擁する司馬乂を

劉淵を擁する司馬潁しばえい

河間王の司馬顒しばぐうで弾劾しますが

逆に恵帝から親征を受けます。


司馬潁・司馬顒は洛陽に攻め入りますが

数では優っていたのに、どうしても

司馬乂に勝利することが出来ませんでした


が、兵糧切れを危惧した

東海王司馬越(しばえつ)

司馬乂を捕えて降伏。


恵帝の直系は途絶えていたため

そうして実弟の司馬潁が

皇位継承の最有力候補、皇太弟こうたいていとなります。



皇太弟となった司馬潁は

やはり調子に乗ってしまい、贅沢三昧。

これに失望した司馬越は、

恵帝を挟んで司馬潁討伐に動きます。


これが304年、蕩陰とういんの戦いです。


結果は、恵帝本人も

手傷を追うほどの司馬潁側の完勝でした。




とにかく本拠地の左国城まで戻って

劉宣たちと合流したい劉淵ですが

なかなか帰るチャンスがありません。


そこで司馬潁に

徴兵のための暇乞いを申し出ますが


「こないだもそんなこと

言ってなかったけ?」と

微妙に察しのいい司馬潁。


そこで劉淵は司馬潁にゴマをすって

彼をいい気分にさせた上で

ようやっと左国城へ戻るのでした。


劉淵、話術の才能あるよ。



勢いに乗っていた司馬潁でしたが、

この後、烏丸うがん鮮卑せんぴを擁する

安北将軍、幽州の雄である王浚おうしゅん

ボッコボコにやられてしまい、

頼みの劉淵も独立しまった事で

本拠地のぎょうを追われ、

皇太弟からも降ろされてしまうのでした。


どんな生まれ持った才能も

長年の努力も、一瞬の驕りが

人を風化させちまうからなあ(黒沢義明


彼の復権を狙って挙兵した

公師範こうしはん汲桑きゅうそうとともに

歴史の表舞台に現れることになるのが、

のちの後趙の皇帝、

不死身の闘将・石勒せきろくです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ