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淡々晋書  作者: ンバ
第百一、劉元海載記
79/313

五、樹機能の反乱

5.

後秦涼覆沒,帝疇咨將帥,上党李憙曰:「陛下誠能發匈奴五部之眾,假元海一將軍之號,鼓行而西,可指期而定。」孔恂曰:「李公之言,未盡殄患之理也。」憙勃然曰:「以匈奴之勁悍,元海之曉兵,奉宣聖威,何不盡之有!」恂曰:「元海若能平涼州,斬樹機能,恐涼州方有難耳。蛟龍得雲雨,非復池中物也。」帝乃止。後王彌從洛陽東歸,元海餞彌于九曲之濱。泣謂彌曰:「王渾、李憙以鄉曲見知,每相稱達,讒間因之而進,深非吾願,適足為害。吾本無宦情,惟足下明之。恐死洛陽,永與子別。」因慷慨歔欷,縱酒長嘯,聲調亮然,坐者為之流涕。齊王攸時在九曲,比聞而馳遣視之,見元海在焉,言於帝曰:「陛下不除劉元海,臣恐并州不得久寧。」王渾進曰:「元海長者,渾為君王保明之。且大晉方表信殊俗,懷遠以德,如之何以無萌之疑殺人侍子,以示晉德不弘。」帝曰:「渾言是也。」


(訳)

その後、秦・涼が覆没し

武帝が誰を(討伐の)

将帥にするかを諮問すると

上党の李憙りいが言った。


「陛下は実に匈奴五部の衆から

兵を徴発できます。

元海に将軍号を仮し、

太鼓を鳴らして西行させれば

期日を指定して平定できます」


孔恂こうじゅんが言った。


「李公の言葉には

わざわいことごとく取り除くことわりはありませんな」


李憙は勃然と言った。


「匈奴の勁悍けいかんさと、元海の用兵術で

聖威を宣揚させるのだぞ。

どうして十全でなかろうか!」


孔恂は言った。


「元海がもし涼州を平定し

樹機能じゅきのうを斬ることができたとしても

恐らくは涼州に

難事が発生するだけです。


蛟龍こうりゅうが雲雨を得れば

(英雄が一度機会を得れば)

もはや池の中の存在ではなくなるのです」


武帝はそうして取りやめた。


その後、王弥おうびが洛陽から東へ帰る際

元海は九曲きゅうきょくの浜にて見送り、

泣きながら王弥に言った。


王渾おうこん李憙りいは郷里での顔見知りなので

事あるごとに吾を推薦してくれるが、

讒間ざんかんがこれに因って進み

吾の本意に深く反して

思いもよらず、殺害されるに

足るような状況になってしまった。


吾は本来、官吏になるつもりは無い。

ただ、足下にはこの気持ちを

明らかにしておきたかった。


恐らく吾は、洛陽で死ぬことになる。

君とは永い別れになろう」


元海は慷慨こうがいしてすすり泣き、

欲しいままに酒を飲み、長嘯した。

その声の調子は明るく、

同席した者は涙を流した。


斉王の司馬攸しばゆうは当時九曲に在り、

このことを聞いて

使いを馳せて視察させ

元海に見えると、武帝に言った。


「陛下が劉元海を除かなければ、

并州は久しく安寧を保てないで

あろう事を、臣は恐れております」


王渾が進み出て言った。


「元海は長者であり、

わたしは、君王のために

彼を生かすべきだと考えまする。


加えて、大晋帝国はまさに

異なる習俗を取り入れることを表明し

徳を以って遠方を手懐けております。


斉王の仰るようになさり、

あらぬ容疑によって

侍子を殺したところで、

どうして晋の徳を

広くに示す事ができましょうか?」


武帝は言った。


「王渾の言うことが正しい」


(註釈)

270年、

禿髪とくはつ樹機能じゅきのうの反乱。

変な字面なのは、異民族の言葉に

無理やり漢字あててるからでしょう。

もしくは本当に髪の毛剃ってたのか。



樹機能は、秦州にて反乱を起こし

秦州・涼州の二州の刺史を破る大暴れ。


その影響力たるや、司馬炎が

「蜀と呉よりこいつの方が

よっぽど厄介じゃないか」と

漏らすほどで、さしもの晋の精鋭も

びびり上がる有様でした。


さっさと劉淵に討伐を命じれば

よかったものの、司馬炎は劉淵に

雄飛の機会を与える事を危惧して

実行に移すことはありませんでした。


最終的には、

諸葛亮の用兵図を得たという

天才・馬隆ばりゅうが樹機能を降しますが

結局、この乱を鎮圧するのに

10年近くを要してしまいます。


この1年後に、呉を降して

天下を統一する西晋ですが

その統治に早くもクエスチョンマークが付き

既にこの頃から退廃の予兆が……



270年代には

劉淵は20〜30代、

「何かを成し遂げよう」という

エネルギーに満ちていた筈です。


しかし、王渾や李憙など

同郷の人物の推薦をたびたび受けるも

どうしても取り立てられない境遇に

劉淵はだんだん自暴自棄になり、

仲の良かった王弥おうびに内心を吐露します。


差別を受けて志を遂げられない。

その悲歌慷慨の嗚咽は

同席した者の胸を打ちました。


司馬懿が酔った勢いで披露した

へたっぴな歌の場面とは

まるで趣の異なる、名場面です。



劉淵の友人として登場した

この「王弥おうび」、のちに劉淵軍の

中核を為す人物となるので

覚えておいてくださいませ。


劉淵を2回も讒言した

孔恂こうじゅんは忘れてしまって大丈夫。

(えー



西晋・司馬炎は

280年に天下を統一したとたん

奢侈淫逸しゃしいんいつに耽り(後宮に1万人?)

佞臣ねいしんを要職に就け

劉淵を生かさず殺さず、

廃立すべきだった皇太子を廃立せず、

兵権を与えて諸王を軍閥化させ

盛大な内ゲバを誘発してしまうなど、

三国志の最終勝者とは思えない体たらくで


天下統一からだいたい、

干支が3周する頃には滅びてしまいます。


三国志の結末がこれかよ!!!!

と、遣る瀬無くなります。



司馬懿の直系が魏から

禅譲を受けて成立した国家を

西晋せいしん」(265〜316)


傍系の皇族が江南へ逃れて

樹立した亡命政権を

東晋とうしん」(317〜420)と呼びます。


後者は、君主の権力地盤が

かなり脆弱だったものの、

約100年存続しました。


三国時代に、孫権が

江南を開発していたのも

大きな要因だったと思います。

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