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淡々晋書  作者: ンバ
第百一、劉元海載記
77/313

三、その容貌

3.

姿儀魁偉,身長八尺四寸,須長三尺餘,當心有赤毫毛三根,長三尺六寸。有屯留崔懿之、襄陵公師彧等,皆善相人,及見元海,驚而相謂曰:「此人形貌非常,吾所未見也。」於是深相崇敬,推分結恩。太原王渾虛襟友之,命子濟拜焉。


(訳)

容貌魁偉で、身長は八尺四寸、

ひげの長さは三尺余りで、

中心に赤くて細い毛が三本あり、

その長さは三尺六寸だった。


屯留に崔懿之さいいし

襄陵に公師彧こうしいくがあり

両者とも人相見に長けていたが

元海を見るに及んで、

互いに驚愕して言った。


「この人の容貌は尋常ではないぞ。

私は今までに

(こんな優れた人相を)

見たことがない」


こうして、

深くお互いを崇敬するようになり

分を弁えて恩誼を結んだ。


太原の王渾おうこんは虚心によって

(異民族だからと分け隔てなく)

元海を友とし、

子の王済おうせいに命じて拝礼させた。



(註釈)


魏晋の度量衡によると

一尺は24.12cmなので


ヒゲが70cmあまり、

中心の3本の赤ひげが86cmくらい。


身長八尺四寸は、

202.6cmということになります。


NBAの八村塁はちむらるい選手、スラムダンクの魚住、

黒バスでいうと陽泉の劉レベルの巨漢です。


そりゃ人相見の人たちも

「こんな(デカくて赤いヒゲの)人

初めて見た!」って言うだろうし、


こんな大男が

真面目にトレーニングしたら

誰も勝てないに決まってる!



他にも


劉曜りゅうよう 九尺三寸(224.5cm)

石虎せきこ 七尺五寸(181cm)

冉閔ぜんびん 八尺(193cm)

慕容恪ぼようかく 八尺七寸(210cm)

姚襄ようじょう 八尺五寸(205cm)


など、この時代には

デカい武将が結構います。



太原の王渾おうこんは、王昶おうちょうの子で

征呉の戦にて大功を立てますが

命令無視して呉の本拠地落しちゃった

王濬おうしゅんと、ケンカになった事で有名です。


蜀を滅ぼした鄧艾とうがい鍾会しょうかい

仲違いして共倒れに終わった前例があり

王渾と王濬もあわや……という所まで

行きかけましたが、なんとか

血なまぐさい私闘には

発展せずに済んだようです。



280年に呉が滅んだ時

劉淵は27〜32歳でした。

強いのに、戦に出る機会、ゼロ。



また、「破竹の勢い」の語源は

この征呉の戦のときに

「呉は春になると湿気が増して

病気が蔓延するから一旦帰ろう?」

という意見に対しての

重鎮・杜預とよのセリフです。




預曰:「昔樂毅藉濟西一戰以並強齊,今兵威已振,譬如破竹,數節之後,皆迎刃而解,無復著手處也。」


(訳)

杜預は述べた。


「昔、楽毅がくきは済西の一戦のみで

(燕を)強国の斉に並ばせた。


今、兵威はすでに振るわれて、

例えるなら竹を割るが如くであり、

刃を当てれば、数節の先まで

すべて割れてしまう。

なので、再度手を施す必要はないのだ」

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