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淡々晋書  作者: ンバ
第百一、劉元海載記
74/313

序文三

序文3.

大凡劉元海以惠帝永興元年據離石稱漢。後九年,石勒據襄國稱趙。張氏先據河西,是歲,自石勒後三十六年也,重華自稱涼王。後一年,冉閔據鄴稱魏。後一年,苻健據長安稱秦。慕容氏先據遼東稱燕,是歲,自苻健後一年也,俊始僭號。後三十一年,後燕慕容垂據鄴。後二年,西燕慕容沖據阿房。是歲也,乞伏國仁據桴罕稱秦。後一年,慕容永據上黨。是歲也,呂光據姑臧稱涼。後十二年,慕容德據滑台稱南燕。是歲也,禿髮烏孤據廉川稱南涼,段業據張掖稱北涼。後三年,李玄盛據敦煌稱西涼。後一年,沮渠蒙遜殺段業,自稱涼。後四年,譙縱據蜀稱成都王。後二年,赫連勃勃據朔方稱大夏。後二年,馮跋殺離班,據和龍稱北燕。提封天下,十喪其八,莫不龍旌帝服,建社開祊,華夷咸暨,人物斯在。或篡通都之鄉,或擁數州之地,雄圖內卷,師旅外並,窮兵凶於勝負,盡人命於鋒鏑,其為戰國者一百三十六載,抑元海為之禍首云。


(訳)

大まかには、

劉元海りゅうげんかい(劉淵)は恵帝の永興えいこう元年に

離石りせきを拠点として漢を称した。


その九年後、石勒せきろく

襄国じょうこくを拠点として趙を称した。


張氏は先に河西に拠した。

この歳、石勒が自立してより

三十六年後に、張重華ちょうちょうかは涼王を自称した。


一年後、冉閔ぜんびん

ぎょうを拠点として魏を称した。


一年後、苻健ふけん

長安を拠点として秦を称した。


慕容ぼよう氏は先に遼東りょうとうに拠し燕を称し、

この歳は苻健の自立より一年後である。

慕容儁ぼようしゅんが帝号の僭称を始めた。


三十一年後、後燕の慕容垂ぼようすいが鄴に拠った。


二年後、西燕の慕容沖ぼようちゅう阿房あぼうに拠った。

この歳、乞伏国仁きつふくこくじん

桴罕ふかんに拠り、秦を称した。


一年後、慕容永ぼようえいが上党に拠った。

この歳、呂光りょこう

姑臧こぞうに拠り、涼を称した。


十二年後、慕容徳ぼようとく

滑台かったいに拠り、南燕を称した。

この歳、禿髮とくはつ烏孤うこ

廉川れんせんに拠り、南涼を称した。

段業だんぎょう張掖ちょうえきに拠り、北涼を称した。


三年後、李玄盛りげんせい

敦煌とんこうに拠り、西涼を称した。


一年後、沮渠蒙遜そきょもうそん

段業を殺し、自ずから涼を称した。


四年後、譙縦しょうじゅうが蜀に拠り

成都王を称した。


二年後、赫連勃勃かくれんぼつぼつ

朔方さくほうに拠り、大夏を称した。


二年後、馮跋ふうばつ離班りはんを殺し、

和龍かりゅうに拠り、北燕を称した。


天下の封土は、十のうち八を喪い

龍旌帝服(天子の旗・服)せぬものはなく、

社を建てて祭祀を開くことは

華夏・夷狄の区別なく尽くに波及し、

人物はかくあるものだった。


或る者は大都市を奪い、

或る者は数州に跨る領地を擁し、

雄略は国内を席巻し

師旅(軍隊)は外へ並べ立てられ


勝負が窮まるまで兵難は続き

人命は悉く鋒鏑に晒され

戦国の世は百三十六年に及んだ。


そもそもは元海が

禍の首要だと云われている。




(註釈)

覚えきれるかーーーーーーーー!!!!!!


三国志は魏・呉・蜀と後漢・晋だけ

覚えておけばよかったのですが

(袁術の仲もね♪)



五胡とは

匈奴きょうどけつ鮮卑せんぴていきょうという

五つの異民族を指します。


この五派に分かれた支族が

4世紀から5世紀まで

さまざまな国家を濫立させました。


十六国とは、すなわち


・匈奴の王朝

☆「前趙ぜんちょう」(304〜329)劉淵りゅうえん

☆「北涼ほくりょう」(400〜439)沮渠蒙遜そきょもうそん

☆「」(407〜431)赫連勃勃かくれんぼつぼつ


けつ族の王朝

☆「後趙ごちょう」(319〜350)石勒せきろく


鮮卑せんぴの王朝

☆「前燕ぜんえん」(337〜370)慕容儁ぼようしゅん

 「西燕せいえん」(384〜394)慕容沖ぼようちゅう

☆「後燕こうえん」(384〜407)慕容垂ぼようすい

☆「南燕なんえん」(398〜410)慕容徳ぼようとく

☆「西秦せいしん」(385〜431)乞伏国仁きつふくこくじん

☆「南涼なんりょう」(397〜414)禿髮とくはつ烏孤うこ


てい族の王朝

☆「成漢せいかん」(304〜347)李雄りゆう

☆「前秦ぜんしん」(351〜394)苻健ふけん

☆「後涼こうりょう」(386〜403)呂光りょこう


きょう族の王朝

☆「後秦こうしん」(384〜417)姚萇ようちょう



・晋王朝

 「西晋せいしん」(265〜316)司馬炎しばえん

 「東晋とうしん」(317〜420)司馬睿しばえい


・その他

☆「前涼ぜんりょう」(345〜376)張重華ちょうちょうか

 「冉魏ぜんぎ」(350〜352)冉閔ぜんびん

☆「西涼せいりょう」(400〜421)李暠りこう

 「後蜀ごしょく」(405〜413)譙縦しょうじゅう

☆「北燕ほくえん」(409〜436)馮跋ふうばつ


☆が付いてるのが十六国です。

10年以内に滅んだ国家は

カウントされない仕組み?


304年に劉淵りゅうえんが漢を建国し、

北魏ほくぎが439年に河北を統一するまでが

「五胡十六国時代」となり、


439年から、

隋が天下を統一する

589年までが「南北朝時代」となります。




五胡十六国時代は、名前の通り

いや、名前以上に

大小さまざまな国家が登場する

中華史上最大級の混沌とした時代です。


5年も経つと勢力図

ほとんど変わってることも珍しくなく、

常に群数割拠、北斗の拳状態です。

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