六十九、亡君のもとへ
69.
九月庚申,葬于河陰,諡曰文,後改諡宣文。先是,預作終制,於首陽山為土藏,不墳不樹;作顧命三篇,斂以時服,不設明器,後終者不得合葬。一如遺命。晉國初建,追尊曰宣王。武帝受禪,上尊號曰宣皇帝,陵曰高原,廟稱高祖。
(訳)
九月庚申、河陰に葬られた。
諡して「文」といい、
後に改めて「宣文」と諡された。
宣帝は生前に予め
首陽山に土蔵(墓)を為し
土盛りや植樹をしないように。
(曹丕の?)顧命を三篇作って納め、
納棺の際には平時の服で。
明器(豪華な品)を設けぬように。
後から亡くなった者と合葬せぬようにと
臨終の際の制度を作成しており、
遺命の如くに統一された。
晋が建国された初め、
尊号を追贈して「宣王」といった。
武帝(司馬昭の子・司馬炎)が
禅譲を受けると尊号に上り
「宣皇帝」といった。
陵墓は高原とされ
廟号は高祖と称された。
(註釈)
司馬懿は生前に
「首陽に葬ってくれ。
先帝の遺命を三篇書いて副葬してくれ。
他のやつと合葬しないでくれ」
と遺言していました。
首陽には曹丕のお墓があります。
曹丕と一緒の墓に眠りたい、
曹丕の遺言も一緒に入れといてくれ、
俺と曹丕以外は入っちゃダメとか、
曹丕大好きすぎるでしょ。




