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淡々晋書  作者: ンバ
第一、宣帝紀
67/313

六十九、亡君のもとへ

69.

九月庚申,葬于河陰,諡曰文,後改諡宣文。先是,預作終制,於首陽山為土藏,不墳不樹;作顧命三篇,斂以時服,不設明器,後終者不得合葬。一如遺命。晉國初建,追尊曰宣王。武帝受禪,上尊號曰宣皇帝,陵曰高原,廟稱高祖。


(訳)

九月庚申、河陰かいんに葬られた。


諡して「文」といい、

後に改めて「宣文」と諡された。


宣帝は生前に予め

首陽山に土蔵(墓)を為し

土盛りや植樹をしないように。

(曹丕の?)顧命を三篇作って納め、

納棺の際には平時の服で。

明器(豪華な品)を設けぬように。

後から亡くなった者と合葬せぬようにと

臨終の際の制度を作成しており、

遺命の如くに統一された。


晋が建国された初め、

尊号を追贈して「宣王」といった。


武帝(司馬昭の子・司馬炎)が

禅譲を受けると尊号に上り

「宣皇帝」といった。


陵墓は高原とされ

廟号は高祖と称された。


(註釈)

司馬懿は生前に

「首陽に葬ってくれ。

先帝の遺命を三篇書いて副葬してくれ。

他のやつと合葬しないでくれ」


と遺言していました。


首陽には曹丕のお墓があります。


曹丕と一緒の墓に眠りたい、

曹丕の遺言も一緒に入れといてくれ、

俺と曹丕以外は入っちゃダメとか、

曹丕大好きすぎるでしょ。

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