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六十三、司馬家の時代
63.
二年春正月,天子命帝立廟于洛陽,置左右長史,增掾屬、舍人滿十人,歲舉掾屬任御史、秀才各一人,增官騎百人,鼓吹十四人,封子肜平樂亭侯,倫安樂亭侯。帝以久疾不任朝請,每有大事,天子親幸第以諮訪焉。
(訳)
二年(250)春正月、天子は宣帝に
洛陽に(司馬家の)廟を立てるよう命じ
左右の長史を置き、
掾属と舎人を十人に増やして
毎年掾属を推挙して
御史、秀才に各一人ずつ任じ、
官騎を百人、鼓吹を十四人増やし、
子の司馬肜を平楽亭侯に、
司馬倫を安楽亭侯に封じた。
宣帝は病を患って久しく、
朝議に出席できなかったため
大事があるたび、天子は自ら行幸して
宣帝のもとを訪れ、事を諮った。
(註釈)
皇帝曹芳20歳、
もはや司馬氏に譲位する気
満々に見えます。
司馬懿は72歳。
もう演技でなく、本当に重病のようで
朝議に出られなくなってます。




