五十八、名優司馬懿
司馬懿VS李勝
司馬懿の名演技に
李勝はすっかり騙されてしまいます。
58.
九年春三月,黃門張當私出掖庭才人石英等十一人,與曹爽為伎人。爽、晏謂帝疾篤,遂有無君之心,與當密謀,圖危社稷,期有日矣帝亦潛為之備,爽之徒屬亦頗疑帝。會河南尹李勝將莅荊州,來候帝。帝詐疾篤,使兩婢侍,持衣衣落,指口言渴,婢進粥,帝不持杯飲,粥皆流出霑胸。勝曰:「眾情謂明公舊風發動,何意尊體乃爾!」帝使聲氣纔屬,說「年老枕疾,死在旦夕。君當屈并州,并州近胡,善為之備。恐不復相見,以子師、昭兄弟為託」。勝曰:「當還忝本州,非并州。」帝乃錯亂其辭曰:「君方到并州。」勝復曰:「當忝荊州。」帝曰:「年老意荒,不解君言。今還為本州,盛德壯烈,好建功勳!」勝退告爽曰:「司馬公尸居餘氣,形神已離,不足慮矣。」他日,又言曰:「太傅不可復濟,令人愴然。」故爽等不復設備。
(訳)
九年(248)春三月、黄門の張当が
掖庭(後宮)の才人の石英ら十一人を
私的に連れ出して曹爽に与え、
妓女としてしまった。
曹爽と何晏は、
宣帝の病が重篤であると考えて
とうとう主君を無碍に扱うような
考えを抱くようになり、張当と密謀して
社稷を危機に陥れようと図り、
その期日まで定めていた。
一方で、宣帝もまた密かに
この事に対して備えていたが、
曹爽に属する者たちもやはり
宣帝の事を頗る疑っていた。
ちょうどこの時、河南尹の李勝が
荊州に赴任しようとしており
宣帝のもとへご機嫌伺いにやって来た。
宣帝は病が篤いふりをし、
両脇に婢女を侍らせて
衣服を持ってこさせたが、
(わざと)それを落とした。
口を指して「喉が渇いた」と言い
婢女が粥を進上するも、
宣帝が杯を持たずに飲むので
粥はすべて流れ出して
その胸元を濡らしていった。
李勝が言った。
「明公の持病である
痛風の発作が起きた……と
巷で囁かれておりましたが、
御尊体がこのようなことに
なっておいでだとは、
思いも寄りませんでした!」
宣帝は声気を
かすかに絞り出して、説いた。
「年老いて病に臥せっており、
死は旦夕に迫っておる。
君は、并州を屈服させんとしているが
并州は胡族の地に近いので、
善く備えを設けなさい。
恐らく、再び相見えることは
できないであろうから、
子の師と昭のことを君に託したい」
李勝は言った。
「本州(故郷の荊州)を
被ることになったのです。
《《并州》》ではありません」
宣帝はそこで
その言動を錯誤して、言った
「君は《《并州》》に行くのだろう?」
李勝は再度言った。
「だから、《《荊州》》を被ったのですよ」
宣帝は言った。
「年老いて耄碌してしまい、
君の言っている事が解らなかった。
こたびは帰郷し、本州を治めるとは
立派なことではないか、
よくよく功勲を建ててくれたまえよ!」
李勝は退出すると
曹爽に告げて言った。
「司馬公は、
尸に僅かな気力が残っているだけで
精神は既に肉体から離れてしまっています。
憂慮する程の事はありませんよ」
他の日にもまたこう言っていた。
「太傅(司馬懿)はもはや
何も成すことができません、
(その耄碌ぶりは)
人を愴然とさせるほどです」
故に、曹爽らは
宣帝に対する備えを
設けなくなった。
(註釈)
三国志曹爽伝の裴註にもあった文です。
あちらだと李勝は
司馬懿を憐れんで泣いているのですが
晋書だと憐れなピエロと化しています。
兵法三十六計、仮痴不癲
痴れ者のふりをして
敵を油断させるやつです。
司馬懿は、
曹爽の息がかかった李勝が
挨拶にやって来た際に
徹底的にボケ老人のふりをして
曹爽一派の警戒を、
完全に解くことに成功しました。
横山諸葛亮はいう、
「そなたらには、まだ
司馬懿の恐ろしさがわからんのか」
老いたりといえど
あの司馬仲達を舐めてはいけない。
「并」と「荊」は
ピンインはもちろん、
日本語でも語感が近いので
司馬懿の「耳が遠くなったふり」も
違和感なく読めちゃいます。
同時期に
「《《胡族の地に近い并州》》」では
劉淵が生まれています。
晋を実質的に滅ぼすことになる男です。




