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四十九、屯田奨励
49.
帝以滅賊之要,在於積穀,乃大興屯守,廣開淮陽、百尺二渠,又修諸陂於潁之南北,萬餘頃。自是淮北倉庾相望,壽陽至於京師,農官屯兵連屬焉。
(訳)
宣帝は、賊を滅ぼすための要諦は
穀物を溜め込むことにあると考え、
そこで大いに屯田を奨励して守らせ
淮陽・百尺の二渠を拡張し、
一方で、潁川の南北の諸々の堤
一万余頃を修復した。
こうして、淮北の米倉は
お互いに観望できるようになり、
寿陽から洛陽に至るまで
農官・屯田兵が連なって
配属されるようになった。
(註釈)
曹操が本格的に始めた屯田、
そのシステムはしっかり
継承されているようです。
魏の層の厚さがこの辺に出てますね。




