四、曹丕の四友
4.
魏國既建,遷太子中庶子。每與大謀,輒有奇策,為太子所信重,與陳羣、吳質、朱鑠號曰四友。
(訳)
魏が建国されると、
太子の中庶子に遷った。
宣帝は常に大謀を共にし、
その都度奇策を有したため
太子は深い信頼を寄せ、
陳羣・呉質・朱鑠とともに
号して四友と呼ばれた。
(註釈)
216年には曹操が魏王に就任します。
漢の定めでは本来
「異姓の王」はアウトなんですが
特例が許される程に曹操の功績と権限は
大きくなっていたのです。
還暦を迎え、当時の寿命的に
いつ死んでもおかしくない曹操は
後継者を
三男の曹丕にするか、
五男の曹植にするかで
かなーり迷って、
賈詡に相談しました。
賈詡が何も答えなかったので、
曹操が訝しむと、
「袁紹と劉表のことを思い出してました」
とボソリ。
どちらも、年少者を後継に選んで
滅んだ悪例でした。
この鶴のひと声で、曹操は
年長者の曹丕を正式な太子に
擁立することを決めたのです。
それと同時に、我らが司馬懿は
太子に侍従する役割の
中庶子を仰せつかりました。
太子の座を得た曹丕は大はしゃぎして
辛憲英という賢婦に
呆れられたといいます。
また、司馬懿とともに紹介された
「曹丕の四友」ですが……
陳羣は
九品官人法を制定した敏腕政治家で、
教科書に載ってることもあります。
呉質は曹丕の立太子に
色々協力してくれた恩人です。
朱鑠は、王粲伝に
短気なエピソードが載ってるくらいで
他の三人に比べると印象薄いです。
「曹丕の四友」は晋書のみで
三国志にはない記述です。
孫権の太子である孫登や蜀の諸葛亮にも
「四友」が設定されているのですが、
「呉と蜀にあるなら、魏にもあるやろ」
って感じで、何かこじつけられてそう。




