四十八、脱兎諸葛恪
48.
四年秋九月,帝督諸軍擊諸葛恪,車駕送出津陽門。軍次於舒,恪焚燒積聚,棄城而遁。
(訳)
四年(243)秋九月、
宣帝は諸軍を統率して諸葛恪を撃ち
車駕は津陽門から送り出した。
軍は舒にて宿営し、
諸葛恪は積集した物に火を放つと
城を棄てて遁走していった。
(註釈)
車駕は○○門から送り出した、の言い回し
もう3回も出てきた、手抜き?
朱然も諸葛恪も、晋書では
戦わずして逃げてしまっています。
いかな司馬懿が相手でも
この二人なら善戦できるはずなのに。
(勝てるとは言いきれない
諸葛恪は、陸遜の死後は
呉でナンバーワンの指揮官となり、
孫権は遺命にて彼に
幼帝・孫亮の補佐役を委ねます。
そのすぐ後、魏の三路侵攻作戦を
打ち破る事に成功するのですが、
その事で調子に乗ってしまったのか
今度は20万の兵で合肥新城を攻め、
数多の犠牲者を出しながら城を抜けず。
人々の反感を買ってしまった諸葛恪は
皇族の孫峻によって惨殺され、
死体はす巻きにされて野晒しに……。
曹爽と諸葛恪の顛末は
割と似ているのではないかと思います。
皇帝が幼い故に、自分が全能だと
思い込んだ者の末路。
魏は曹叡の死後、3代26年で滅びますが
呉も孫権の死後、3代28年で滅亡します。




