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淡々晋書  作者: ンバ
第一、宣帝紀
49/313

四十八、脱兎諸葛恪

48.

四年秋九月,帝督諸軍擊諸葛恪,車駕送出津陽門。軍次於舒,恪焚燒積聚,棄城而遁。


(訳)

四年(243)秋九月、

宣帝は諸軍を統率して諸葛恪を撃ち

車駕は津陽門しんようもんから送り出した。


軍はじょにて宿営し、

諸葛恪は積集した物に火を放つと

城を棄てて遁走していった。



(註釈)

車駕は○○門から送り出した、の言い回し

もう3回も出てきた、手抜き?


朱然も諸葛恪も、晋書では

戦わずして逃げてしまっています。


いかな司馬懿が相手でも

この二人なら善戦できるはずなのに。

(勝てるとは言いきれない


諸葛恪は、陸遜の死後は

呉でナンバーワンの指揮官となり、

孫権は遺命にて彼に

幼帝・孫亮そんりょうの補佐役を委ねます。


そのすぐ後、魏の三路侵攻作戦を

打ち破る事に成功するのですが、

その事で調子に乗ってしまったのか

今度は20万の兵で合肥新城を攻め、

数多の犠牲者を出しながら城を抜けず。


人々の反感を買ってしまった諸葛恪は

皇族の孫峻そんしゅんによって惨殺され、

死体はす巻きにされて野晒しに……。


曹爽と諸葛恪の顛末は

割と似ているのではないかと思います。

皇帝が幼い故に、自分が全能だと

思い込んだ者の末路。


魏は曹叡の死後、3代26年で滅びますが

呉も孫権の死後、3代28年で滅亡します。

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