四十七、司馬懿VS諸葛恪
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先是,吳遣將諸葛恪屯皖,邊鄙苦之,帝欲自擊恪。議者多以賊據堅城,積穀,欲引致官兵。今懸軍遠攻,其救必至,進退不易,未見其便。帝曰:「賊之所長者水也,今攻其城,以觀其變。若用其所長,棄城奔走,此為廟勝也。若敢固守,湖水冬淺,船不得行,勢必棄水相救,由其所短,亦吾利也。」
(訳)
これより以前、
呉は将軍の諸葛恪を派遣して
皖城に駐屯させており、
辺鄙の者は彼によって
苦しめられていたため、
宣帝は自ら諸葛恪の討伐を願い出た。
論者の多くは、賊が堅城に拠って
穀物を積み上げて、官兵を
誘き寄せようとしており、
今懸軍が遠方を攻めても
必ずや諸葛恪への援軍が至って
進むも引くも容易では
なくなるだろうから
攻める利点が見えない、と述べた。
宣帝は言った。
「賊は水上戦に長けている。
今、皖城を攻めれば
その変化を観察できよう。
もし賊が、その長所(水上戦)を
活かそうとするならば、
城を棄てて奔走するだろう。
これは我が王朝の勝利を意味する。
もし敢えて堅守しようとも、
湖水は、冬は水位が浅くなり
船を進めることができなくなるから、
呉の軍勢は確実に
得意な水上戦を棄てて
諸葛恪を救援することになろう。
その短所を用いることになるのだから、
やはり我々に有利である」
(註釈)
此為廟勝也
↑
この「廟」なんだろう……
原文が間違ってそう。
以前、袁紹が「哀紹」に
なってる時があって、
謎の誤訳をしそうになりました。
司馬懿VS諸葛恪
これも三国志にはない描写です。
プライドの高い諸葛恪が
戦わずに逃げちゃうのが
なんか釈然としません。




