四十二、芍陂・樊城の役
42.
二年夏五月,吳將全琮寇芍陂,朱然、孫倫圍樊城,諸葛瑾、步騭掠柤中,帝請自討之。議者咸言,賊遠來圍樊,不可卒拔。挫於堅城之下,有自破之勢,宜長策以御之。帝曰:「邊城受敵而安坐廟堂,疆埸騷動,眾心疑惑,是社稷之大憂也。」
(訳)
二年(241)夏五月、
呉の将軍の全琮が芍陂に侵入し
朱然、孫倫が樊城を囲み
諸葛瑾・歩隲が柤中を奪ったため
宣帝は自ら呉軍の討伐を要請した。
論者はみな、賊が遠征して
樊城を囲んでいることから
俄かには抜く事ができず、
堅城の下で意気を挫かれて
自ずからその勢いは破られるであろうから
長策を以って呉軍を御するべきだと述べた。
宣帝は言った。
「辺城が敵の侵攻を受けているのに
安穏と廟堂に座っていては、
境域の場に騒ぎが起こり
民衆は心に不安を抱く。
これは社稷の大いなる憂いなのだ」
(註釈)
曹叡が亡くなってから2年、
孫権は魏を脅かすチャンスと見て
軍を動かしてきます。
朝議の場では、呉の遠征軍に
即座に樊城が抜けるわけがないので
じっくり策を考えましょう、との
意見が出されますが、
国境が脅かされて
民が不安に思ってるのに
安穏と構えてられるか!行くぞ!!!!と
我らが司馬懿は立ち上がります。




