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淡々晋書  作者: ンバ
第一、宣帝紀
40/313

三十九、幼帝即位

39.

及齊王即帝位,遷侍中、持節、都督中外諸軍、錄尚書事,與爽各統兵三千人,共執朝政,更直殿中,乘輿入殿。爽欲使尚書奏事先由己,乃言於天子,徙帝為大司馬。朝議以為前後大司馬累薨於位,乃以帝為太傅,入殿不趨,贊拜不名,劍履上殿,如漢蕭何故事。嫁娶喪葬取給於官,以世子師為散騎常侍,子弟三人為列侯,四人為騎都尉。帝固讓子弟官不受。


(訳)

斉王(曹芳)が帝位に即くに及んで

宣帝は侍中・持節・

都督中外諸軍・錄尚書事にうつ

曹爽とそれぞれ三千人の兵を統べて

ともに朝政を執り、

殿中に代わる代わる宿直して

輿に乗って入殿した。


曹爽は、尚書が上奏する際には

まず自身を経由させようとして

宣帝を大司馬(軍事の最高責任者)に

転属させた。


朝議では、前後に渡って

大司馬の位にあった者の

薨去が累なっていた事から

そうして宣帝は太傅たいふとなり、

入殿の際に小走りせずともよく、

拝謁の際に名前を呼ばれず、

剣をび靴を履いたままの昇殿を許され

漢の蕭何しょうかの故事の如く担った。


(司馬懿の親族が)

嫁を娶ったり、葬儀を行う際には

官からの支給を受け取る事になり、

世子の司馬師しばし散騎常侍さんきじょうじとなり

子弟三人が列侯に封じられ

四人は騎都尉に任じられた。


宣帝は再三に渡って固辞し

子弟の任官を受けなかった。



(註釈)

曹芳そうほうはのちのち、254年に

司馬師しばしに廃位させられたため

天子などと表記されずに

斉王せいおう」と記されています。



三国志魏書では、曹叡以降の3人の皇帝は

「三少帝紀」として一括りにされています。



曹爽は宮廷の権力を

自ら一手に担おうと考え


司馬懿は軍事要職の大司馬、

次いで名誉職の太傅に転任させられます。



何晏かあん(太鼓持ち)

「司馬懿のジジイ、邪魔じゃないですか?

窓際に追いやっちゃいましょうよ」


曹爽

「そうだな。あいつがいると

好き勝手やれないもんね。


じゃあ、太傅たいふにしてやるか。

幼い天子の教育係って、いかにも

爺さんが喜びそうなポストだし」



司馬懿、最後の大仕事は

彼らの思い上がった思考を正すことです。

しかし…………


司馬懿はこの直後の対呉戦線でも

実に見事な勝利を飾りますが、


司馬懿の活躍に焦った曹爽は

周囲の諌めも聞かずに

244年に蜀を無理攻めして

何の成果も挙げられないままに撤退。


司馬懿と曹爽の対立は徐々に

表面化していきます。


主君が幼いときこそ

盛り立てていく臣下の資質が問われますね。

同じ条件で滅私奉公を貫き

私財を塵芥ほども蓄えなかった

諸葛亮の偉大さが、改めてわかります。

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