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三十七、人臣公私を混同せず
37.
時有兵士寒凍,乞襦,帝弗之與。或曰:「幸多故襦,可以賜之。」帝曰:「襦者官物,人臣無私施也。」乃奏軍人年六十已上者罷遣千餘人,將吏從軍死亡者致喪還家。遂班師。天子遣使者勞軍于薊,增封食昆陽,并前二縣。
(訳)
この時、寒さに凍える兵士がおり、
襦を乞うたが、宣帝は与えなかった。
或る者が言った。
「幸い、古い襦が多くありますから
これを賜るべきかと」
宣帝は言った。
「襦とは官の物であって
人臣(たる私)が
私的に施してはならぬものなのだ」
かくて上奏し、
軍人で六十歳以上の者
千人余りを罷免(退役)させ
従軍した将兵・吏人のうちで
死亡した者を弔い、家に還した。
かくて師団は凱旋した。
天子は使者を遣わして薊で軍を労い、
食邑として昆陽を加増し
以前の二県と併せた。
(註釈)
空気も司馬懿も冷たいように感じますが
公私のけじめをきっちりつけてるって事かな。
昆陽の戦いの話をしてたら
本当に昆陽が司馬懿の領地に!
この事実から遡って
言わせたセリフのように
感じられてきました。




