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淡々晋書  作者: ンバ
第一、宣帝紀
37/313

三十六、周武に倣わん

公孫淵に苦しめられていた者たちへの

司馬懿の沙汰のようす。

36.

初,文懿篡其叔父恭位而囚之。及將反,將軍綸直、賈範等苦諫,文懿皆殺之。帝乃釋恭之囚,封直等之墓,顯其遺嗣。令曰:「古之伐國,誅其鯨鯢而已,諸為文懿所詿誤者,皆原之。中國人欲還舊鄉,恣聽之。」


(訳)

初め、文懿はその叔父の

公孫恭こうそんきょうから位を奪って

彼を囚えてしまった。


反逆しようとするのに従い

将軍の綸直りんちょく賈範かはんらが

苦言を呈して諌めたが

文懿は彼らを皆殺しにした。


宣帝は、囚われていた公孫恭を釈放し

綸直らの墓に盛り土をして(封墓)

その跡継ぎの遺児を顕彰した。


宣帝は命じて言った。


「古代では国を討伐する際

その鯨鯢げいげい(悪の元締め)を

誅殺するだけで、

文懿に欺かれた諸々の者は

皆その罪を原宥げんゆう(赦免)する。


中原の人間で、旧里に帰りたい者は

自由にそれを聞き入れよう」


(註釈)

公孫淵も結構な悪党なんですね。

この一連の行動は、周の武王が

殷の紂王やっつけた時の流れを

なぞってる感じがあります。


司馬懿が、遼東でぶいぶい言わせていた

公孫淵を討ったことで

倭国との国交が復活。


倭からの使者が、魏王朝に

朝見に訪れるようになります。


卑弥呼ひみこから使者に遣わされた

難升米なしめという人物がいるのですが

断片的な情報しかなく、

考察しがいのある御仁です。


一発で変換できるあたり

難升米って実は有名人?

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