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淡々晋書  作者: ンバ
第一、宣帝紀
33/313

三十二、戦闘一流、詩は二流

238年、公孫淵戦。


司馬懿の美しい(?)歌が聴けます。

32.

景初二年,帥牛金、胡遵等步騎四萬,發自京都。車駕送出西明門,詔弟孚、子師送過溫,賜以穀帛牛酒,敕郡守典農以下皆往會焉。見父老故舊,讌飲累日。帝歎息,悵然有感,為歌曰:「天地開闢,日月重光。遭遇際會,畢力遐方。將掃羣穢,還過故鄉。肅清萬里,總齊八荒。告成歸老,待罪舞陽。」遂進師,經孤竹,越碣石,次于遼水。文懿果遣步騎數萬,阻遼隧,堅壁而守,南北六七十里,以距帝。帝盛兵多張旗幟出其南,賊盡銳赴之。乃泛舟潛濟以出其北,與賊營相逼,沈舟焚梁,傍遼水作長圍,棄賊而向襄平。諸將言曰:「不攻賊而作圍,非所以示眾也。」帝曰:「賊堅營高壘,欲以老吾兵也。攻之,正入其計,此王邑所以恥過昆陽也。古人曰,敵雖高壘,不得不與我戰者,攻其所必救也。賊大眾在此,則巢窟虛矣。我直指襄平,則人懷內懼,懼而求戰,破之必矣。」遂整陣而過。賊見兵出其後,果邀之。帝謂諸將曰:「所以不攻其營,正欲致此,不可失也。」乃縱兵逆擊,大破之,三戰皆捷。賊保襄平,進軍圍之。



(訳)

景初二年(238)、

牛金、胡遵こじゅんら歩兵騎兵四万を率い

宣帝自ら京都から出発した。


車駕しゃが(天子の御車、または天子)は

西明門より宣帝を送り出し、

宣帝の弟の司馬孚しばふと、子の司馬師しばし

詔勅しておんを通過するまで見送らせ

穀物・きぬ・牛肉・酒を賜り、

郡太守、典農以下全てに詔勅して

宣帝を迎えにゆかせた。


父老や旧知の人物に見え、

宴飲(酒宴)して日を累ねた。


宣帝は歎息し、

悵然ちょうぜんとした感情が沸き起こって

それを歌にして言った。


「天地開闢,日月重光。

(天地開闢(かいびゃく)より日月は光を重ねた)


遭遇際会,畢力選方。

(偶然にも機会を得、遠方の地に尽力した)


将掃穢甫,還過故郷。

(穢れた者どもを掃討せんとし

故郷を通りかかった)


肅清万里,総斉八荒。

(万里を粛清し、

八荒すべてを統べ治めよう)


告成帰老,待罪武陽。

(成功を告げたら、老臣は郷里へ帰り

武陽にてご沙汰を待とう)」


かくて師団を進め、孤竹を経て碣石を越え

遼水に宿営した。


文懿(公孫淵)は果たせるかな

歩兵騎兵数万を遣って遼隧りょうすいを阻み、

南北六〜七十里の堅固な壁にて守衛し、

宣帝を拒いだ。


宣帝は兵を盛り立て、

旗や幟を多く張って南方に転出し

賊の盡くは、鋭鋒をそちらへ向けた。


そこで、舟を浮かべ

密かに渡河して敵の北側へ出て、

賊の陣営に相逼迫し

舟を沈めて橋を燃やすと、

遼水の傍らに長い囲みを為して

賊を放棄して襄平じょうへいへと向かった。


諸将は言った。


「賊を攻撃せずに囲みを作るなんて、

兵たちに示しがつきませんよ」


宣帝は言った。


「賊の陣営は堅固で、とりでは高い。

我が兵を疲弊させようとしているのだ。

これを攻めれば正に

奴等の計に嵌ることとなり、

王邑おうゆうが過去に昆陽こんようで恥を晒した所である。


古人は言っている、

敵の塁が高く(防御を固めて)

自分と戦おうとしない時でも、

敵が確実に救援するであろう

場所を攻めよ、と。


賊の大軍はこの場に在る、

則ち巣窟(拠点)は空虚な筈。


私が真っ直ぐ襄平を目指せば

則ち、城内の人間は恐懼する。

懼れた状態で戦いを挑めば

必ずや破ることができよう」


かくて陣を整え、過ぎ去った。


賊は宣帝の兵が背後に現れたのを見ると

果たして迎撃してきた。


宣帝は諸将に対して言った。


「奴等の陣営を攻めずにいたのは

正しく、この状況を作り出すためだった。

失敗は許されんぞ」


こうして、

兵を放って逆撃してこれを大破し

三度戦って、すべて勝利した。


賊は襄平を保ち、

宣帝は進軍してこれを囲んだ。




(註釈)

パーフェクト超人司馬懿ですが、

詩のセンスはあまり無いみたいです!!


詳しくはないですが、なんか、

状況説明と心情を淡々と述べてるだけで

韻とか反切とか考慮してなくない?


そこは仲良しの曹丕に

教わらなかったのかな。



やはり、

司馬懿の本領は歌より戦闘です。



当初の予想通り、公孫淵は

迎撃に出てきて、ガードを

ガッチガチに固めてきたため


力攻めは無駄だと判断した司馬懿は

陣だけ築いて迂回し、がら空きの

敵の本拠地を狙います。


こうして三戦三勝、

いつも状況判断が適切よね。


司馬懿が悪例に挙げている

昆陽こんようの戦いは、光武帝の時代に

新軍が100万(43万)を擁しながら

8〜9000人の立てこもる昆陽を抜けず

逆に光武帝にボコボコにされるという

歴史上、最大の戦力差を覆された戦です。

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