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淡々晋書  作者: ンバ
第一、宣帝紀
32/313

三十一、宮殿作ってる場合か!

31.

是時大修宮室,加之以軍旅,百姓饑弊。帝將即戎,乃諫曰:「昔周公營洛邑,蕭何造未央,今宮室未備,臣之責也。然自河以北,百姓困窮,外內有役,勢不並興,宜假絕內務,以救時急。」


(訳)

当時、宮室が大々的に修繕され

それに加えて軍旅(戦争)があったため、

百姓は饑渇きかつし、疲弊していた。


宣帝は即座にこれを戒めんとして

そこで、諫言して述べた。


「昔、周公旦は洛邑らくゆう(洛陽)を、

蕭何しょうか未央宮びおうきゅうを造営しました。


(本来なら国家の重鎮の行う事業ながら)

今、宮室がいまだに

整備されておりませぬ事は

わたくしの責任にございます。


しかし、黄河以北では

百姓が内外の役務に預かりて

困窮しており、

(内外の)勢いが並び立ちませぬ。


ひとまずは内務(宮殿の造営)を絶ち

目の前の危急(公孫淵の討伐)に

対処するべきでございます」



(註釈)

魏帝曹叡(そうえい)は、諸葛亮が死んだ事で

安心してしまったのか、

宮殿の造営に走るようになります。


当然、人夫が駆り出される事になるわけで

兵難との二重苦に喘ぐことになり

魏の民草は明らかに疲弊していました。


曹叡が秦始皇と漢武帝に比せられてるの

ここに由来していると思うわけです。


この件については

三国志の著者である陳寿ちんじゅも、

「将来のことを考えれば

重大な失敗だった」と断じており、

重臣の司馬懿としても、

これは安穏と見過ごすわけにはゆきません。


遼東には公孫淵が割拠し、

まだ江南には呉が健在、

蜀も隠然たる勢力を保ったままであり

まだまだ、天下が魏に帰したと

決めつけるには早すぎます。


曹叡は曹丕と違って

軍事の方に光るセンスがあるのに

腐らせてるようにも感じられます。


司馬懿の此度の遠征は

いまいち危機感足りてない曹叡に

喝を入れる意味合いもあったのかも。

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