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淡々晋書  作者: ンバ
第三十六、衛瓘伝
304/313

十四・十五、書史前

14.

「黃帝之史,沮誦、倉頡,眺彼鳥跡,始作書契。紀綱萬事,垂法立制,帝典用宣,質文著世。爰暨暴秦,滔天作戾,大道既泯,古文亦滅。魏文好古,世傳丘墳,歷代莫發,真偽靡分。大晉開元,弘道敷訓,天垂其象,地耀其文。其文乃耀,粲矣其章,因聲會意,類物有方:日處君而盈其度,月執臣而虧其旁,雲委蛇而上布,星離離以舒光;禾卉苯䔿以垂穎,山嶽峨嵯而連岡;蟲跂跂其若動,鳥似飛而未揚。觀其錯筆綴墨,用心精專。勢和體均,發止無間。或守正循檢,矩折規旋。或方員靡則,因事制權。其曲如弓,其直如弦。矯然特出,若龍騰於川。森爾下頹,若雨墜於天。或引筆奮力,若鴻雁高飛,邈邈翩翩。或縱肆阿那,若流蘇懸羽,靡靡綿綿。是故遠而望之,若翔風厲水,清波漪漣。就而察之,有若自然。信黃唐之遺跡,為六藝之範先。籀篆蓋其子孫,隸草乃其曾玄。睹物象以致思,非言辭之可宣。」

(訳)

黄帝の史官の沮誦、倉頡は

かの鳥の跡を眺望して

はじめて書契を作った。


綱紀、万事は

法規をしめし制度を立てて

帝の典範を宣揚して

表面、実質ともが世に顕著となる。


こうして暴虐な秦におよぶと

滔天はそむき、大きな道は廃れ

古文もまた滅びた。


魏文(曹丕)は古典を愛好し

世は丘墳を伝えたが

代をかさねて発掘されず

真偽は分からない。


大晋がもといを開くと

道をひろめて訓戒を敷き

天はその象を垂れ

地はその文を耀かせた。

その文耀かば、章は燦然とした。


声に因って意義をあわせ

類型には方則があった。


〝日〟は主君を処し、しからばその度盈ち

〝月〟は臣下を執り、しからばその旁欠ける。

〝雲〟は蛇に委ねて上に布き

〝星〟は離離として光を舒べ

〝禾卉〟は草叢が繁茂してほさきを垂れ

〝山嶽〟は嵯峨として岡を連ね

〝蟲〟は跂跂として、その動くが如く

〝鳥〟は飛ぶ姿に似るも、揚がりはしない。


その運筆や墨を綴るをみるに

心を砕いて精妙なものとしている。


勢は和し、(書)体は均しく

発止に間がない。


或いは正しきを守り

規矩(定規やコンパス)を

折ったり旋回させたりする。

(画一的な書き方をするやつもいる)


或いは方員(四角と丸、直線と曲線)に

規則なく、事情に因り目方を決める。

(毎度違う書き方をするやつもいる)


その曲がりようは弓の如く、

その真っ直ぐさは弦の如くである。


矯然と持ち出すことは

川にて龍の奔騰するが若く。

(龍がのぼるような筆遣い)


森爾下りてくずれるは

天より雨の墜ちるが若く。

(雨粒のおちるような筆遣い)


或いは筆引き力を奮うこと

鴻や雁の高く飛び上がりて

邈邈翩翩たる若く。

(筆圧の強弱が鳥のように躍動的なこともある)


或いはほしいままに曲げること

流るる蘇の羽を懸け

靡靡綿綿たる若く。

(カーブは羽がはためくように自由?なこともある)


このため遠くこれを望まば

翔る風の水を厲わせ

清らの波の漪漣たる若く。

(遠くから見ると風が水をふるわせ

波がさざめきたつようだ)


就きてこれを察すれば

自然の若くにあらん。

(くっついて観察すると自然のままだ)


黄唐の遺跡は

六芸の先鞭的な規範となった。

(黄帝、堯、舜の遺したものにならっている)


籀や篆は蓋しその子孫、

隸や草は乃ちその曾孫や玄孫である。


物象をみて思い致らせるも

言辞によって宣べることはできぬ」


15.

昔周宣王時,史籀始著大篆十五篇,或與古同,或與古異,世謂之籀書者也。及平王東遷,諸侯力政,家殊國異,而文字乖形。秦始皇帝初兼天下。丞相李斯乃奏益之,罷不合秦文者,斯作倉頡篇,中車府令趙高作爰曆篇,太史令胡毋敬作博學篇,皆取史籀大篆,或頗省改,所謂小篆者。或曰,下土人程邈為衙獄吏,得罪始皇,幽繫雲陽十年,從獄中作大篆,少者增益,多者損減,方者使員,員者使方,奏之始皇。始皇善之,出以為御史,使定書。或曰,邈所定乃隸字也。自秦壞古文,有八體,一曰大篆,二曰小篆,三曰刻符,四曰蟲書,五曰摹印,六曰署書,七曰殳書,八曰隸書。王莽時,使司空甄豐校文字部,改定古文,復有六書。一曰古文,孔氏壁中書也。二曰奇字,即古文而異者也。三曰篆書,秦篆書也。四曰佐書,即隸書也。五曰繆篆,所以摹印也。六曰鳥書,所以書幡信也。及許慎撰說文,用篆書為正,以為體例,最可得而論也。秦時李斯號為二篆,諸山及銅人銘皆斯書也。漢建初中,扶風曹喜少異於斯,而亦稱善。邯鄲淳師焉,略究其妙,韋誕師淳而不及也。太和中,誕為武都太守,以能書,留補侍中,魏氏寶器銘題皆誕書也。漢末又有蔡邕,采斯喜之法,為古今雜形,然精密閑理不如淳也。

(訳)

昔、周の宣王の時代、

史家の籀始が「大篆」十五篇を著した。

古代と同じであったり異なったりしたが

世はこれを籀書と謂ったのである。


平王が東へ遷るに及んで

諸侯は政に精を出し

家が違えば国も異なり

文字の形は乖離していった。


秦の始皇帝が初めて天下を兼併すると

丞相の李斯りしはかくて

これをふやすよう上奏し

秦の文に合致していないものは廃止した。


かくて「倉頡篇」を作り

中車府令の趙高が「爰曆篇」を作り

太史令の胡毋敬が「博学篇」を作った。

みな、史籀の大篆を取り入れており

頗る省いたり改めたりすることもあった。

所謂、小篆である。


下土人の程邈ていばくが衙の獄吏となり

始皇帝から罪を得て

雲陽に十年幽閉された際に

獄中で大篆を作り、

少ないものは増やし

多いものは減らして、

四角いものは丸くさせ

丸いものは四角くさせて、

始皇帝に上奏した。

始皇帝はこれを嘉して

(牢屋から)出して彼を御史とし

書体を定めさせた、という人もいる。


程邈の定めた所が

乃ち隷書である、という人もいる。


秦が古文が壊してからは

八体が存在した。


一にいう大篆,二にいう小篆、

三にいう刻符、四にいう蟲書

五にいう摹印、六にいう署書、

七にいう殳書、八にいう隸書である。


王莽の時代、司空の甄豊しんほう

文字の部首を校査させて

古文を改定した、また六書があった。


一にいう古文、孔氏の壁中に書かれていたもの。

二にいう奇字、即ち古文とは異なるもの。

三にいう篆書、秦の篆書である。

四にいう佐書,則ち隸書である。

五にいう繆篆、以て印章を写す所である。

六にいう鳥書、幡や書信に書く所である。


許慎の編纂した〝説文〟に及んで

篆書を用いる事が正式となり

書体の典例とした。

すべては得てから論じるべきである。


秦の時代に李斯は〝二篆〟と号されており

諸山及び銅人の銘は

孰れも李斯の書いたものである。


漢の建初年間に、扶風の曹喜そうき

少し李斯とは異なるものの

また善いと称えられた。


邯鄲淳が師事し、

その精妙さをおおかた究めた。


韋誕いたんは邯鄲淳に師事するも

及ばなかった。


太和年間に韋誕は武都太守となり、

書が得意な事から留められて

侍中に補された。

魏氏の宝器、銘題は

みな韋誕が書いたものである。


漢の末期にはまた蔡邕さいようがおり、

李斯や曹喜の技法を採取し

古今のものを雑ぜて形としたが、

邯鄲淳の精密さ、閑雅なる理には及ばない。


(註釈)

黄帝の沮誦、倉頡。秦の李斯、程邈。

前漢の曹喜、後漢の許慎、曹魏の邯鄲淳。

この辺を覚えておけば大丈夫かな。

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