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淡々晋書  作者: ンバ
第一、宣帝紀
3/313

二、仮病、のちに出仕

青年司馬懿に対して、

時の権力者、曹操からのアプローチ。



※司馬懿は基本、本文に合わせて

「宣帝」と表記してゆきます。

2.

漢建安六年,郡舉上計掾。魏武帝為司空,聞而辟之。帝知漢運方微,不欲屈節曹氏,辭以風痹,不能起居。魏武使人夜往密刺之,帝堅臥不動。及魏武為丞相,又辟為文學掾,敕行者曰:「若復盤桓,便收之。」帝懼而就職。於是使與太子游處,遷黃門侍郎,轉議郎、丞相東曹屬,尋轉主簿。


(訳)

漢の建安六年(201年)

郡は宣帝を計掾けいえんに推挙した。

魏の武帝(曹操)は司空となり、

宣帝のことを聞いて招辟しょうへきした。


宣帝は漢の命運が衰微しつつあるのを

知ってはいたが、節を曲げて

曹氏に仕えようとはせず、

風痺ふうひ(中風)に罹って起き上がれない

という理由で、辞退した。


魏武は人を遣り、夜中に往かせて

密かに様子を探らせたが、

宣帝は臥せっていて動かなかった。


魏武が丞相となるに及んで、

ふたたび宣帝を招辟して

文学掾ぶんがくえんに任命しようとした。

魏武は行者に勅言した。


「もしまた盤桓ばんかん(留まる)するようであれば

直ちにヤツを引っ捕らえろ」


宣帝はおそれ、そこでやっと就職した。

こうして太子(曹丕)と交遊するようになり、

黄門侍郎こうもんじろうに遷り、議郎ぎろうに転じ、

丞相じょうしょう東曹とうそうの属官となり、

まもなく主簿に転属された。



(註釈)

201年、曹操が

天下分け目の官渡かんとの戦いで

奇跡的に袁紹えんしょうに勝利を収めたあたりで

司馬懿に仕官のお誘いがきました。


179年生まれの司馬懿は

この時数えで23歳の

若さ溢れる青年でしたが、

曹操に仕えるのが嫌だったようで、

仮病によってこれを断ります。



司馬懿の妻の張春華ちょうしゅんかさんは

司馬懿が本当はピンピンしているところを

侍女が目撃してしまったため

秘密が曹操に漏れるのを恐れて

その侍女を殺してしまったといいます。


当時春華さん数えで13歳。

下手するとまだ

11歳にして血の味を知る嫁。

そして司馬懿、ロリ疑惑。



曹操はこっそり使いをやって

本当に病気なのかどうか

確かめに行かせましたが、

司馬懿がピクリとも動かなかったので

その場は引き下がりました。


それから7年ほど経ち、

赤壁の戦いの前になって

曹操はふたたび司馬懿に

仕官を催促します。


曹操は

「断るようなら無理やりふん縛ってこい」と

使者に念を押したため、

さすがの司馬懿も観念して

曹操に仕えることになりました。


……って、これ

どこまで信じていいものやら。


なんとなく、三国志に比べて

晋書が胡散臭いと言われる

そのわけが、はやくもわかってきました。


曹操とはあまり

ソリが合わなさそうな司馬懿でしたが、

8歳年下の曹操の三男坊、

曹丕そうひとは馬が合ったようです。


人物の好悪が激しく

ドSと言われる曹丕ですが

好きな人にはとても優しいのです。

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