二十、涙の凍る葬儀
20.
疾漸篤,乃舉杜預自代。尋卒,時年五十八。帝素服哭之,甚哀。是日大寒,帝涕淚沾須鬢,皆為冰焉。南州人征市日聞祜喪,莫不號慟,罷市,巷哭者聲相接。吳守邊將士亦為之泣。其仁千所感如此。賜以東園秘器,朝服一襲,錢三十萬,布百匹。詔曰:「征南大將軍南城侯祜,蹈德沖素,思心清遠。始在內職,值登大命,乃心篤誠,左右王事,入綜機密,出統方嶽。當終顯烈,永輔朕躬,而奄忽殂隕,悼之傷懷。其追贈侍中、太傅,持節如故。」
(訳)
病状が漸次に進行して重篤となると、
そこで自らの代わりに杜預を推挙し、
その直後に卒してしまった。
この時五十八歳。
帝は素服にて哭礼を行い、甚だ哀しんだ。
この日は大変な寒さで、
帝の流した涙が須鬢を沾したが、
それらが全て凍り付いてしまっていた。
南州(荊州以南?)の人々は
市(交易)の開催される日に
羊祜が亡くなった事を聞き、
号泣せぬ者はなかった。
市が終わっても、巷にて
哭く者の声が相繋がる程であった。
呉の辺境を守っていた将士もまた
このために泣いた。
その仁徳に多くの人々が
感じ入る様子はかくの如くであった。
(帝は)
東園の秘器、一襲の朝服、銭三十万、
布百匹を賜り、詔勅して言った、
「征南大将軍、南城侯の羊祜は徳を履み行い、
沖淡(無欲)にして質素純朴、
思慮と心胆は清らかにして深遠であった。
当初は内部の職に在り。
大命に登るに値しても
心は篤実で真摯であり、
王の事業を左右して
入りて機密を統轄して
出でて方嶽を統治した。
臨終に当たりて功烈は顕らかで
永く朕躬らを輔翼してくれたが
忽ちに殞命してしまった。
彼を悼むに懐が傷む(胸が張り裂けそうだ)。
羊祜に以前の通り
侍中、太傅、持節を追贈する」
(註釈)
羊祜さんに
徹底的に謙譲を貫かせたのは
良くも悪くも、あなたですよ。
羊祜の後を継ぐのは杜預、
あの杜甫の祖先にして
「破竹の勢い」の語源となった人です。




