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淡々晋書  作者: ンバ
第三十四、羊祜伝
197/313

十二、今こそ呉を討たん!

12.

祜繕甲訓卒,廣為戎備。至是上疏曰:先帝順天應時,西平巴蜀,南和吳會,海內得以休息,兆庶有樂安之心。而吳復背信,使邊事更興。夫期運雖天所授,而功業必由人而成,不一大舉掃滅,則眾役無時得安。亦所以隆先帝之勳,成無為之化也。故堯有丹水之伐,舜有三苗之征,咸以寧靜宇宙,戢兵和眾者也。蜀平之時,天下皆謂吳當並亡,自此來十三年,是謂一周,平定之期復在今日矣。議者常言吳楚有道後服,無禮先強,此乃謂侯之時耳。當今一統,不得與古同諭。夫適道之論,皆未應權,是故謀之雖多,而決之欲獨。凡以險阻得存者,謂所敵者同,力足自固。苟其輕重不齊,強弱異勢,則智士不能謀,而險阻不可保也。蜀之為國,非不險也,高山尋雲霓,深谷肆無景,束馬懸車,然後得濟,皆言一夫荷戟,千人莫當。及進兵之日,曾無籓籬之限,斬將搴旗,伏屍數萬,乘勝席捲,徑至成都,漢中諸城,皆鳥棲而不敢出。非皆無戰心,誠力不足相抗。至劉禪降服,諸營堡者索然俱散。今江淮之難,不過劍閣;山川之險,不過岷漢;孫皓之暴,侈于劉禪;吳人之困,甚于巴蜀。而大晉兵眾,多於前世;資儲器械,盛於往時;今不于此平吳,而更阻兵相守,征夫苦役,日尋干戈,經歷盛衰,不可長久,宜當時定,以一四海。今若引梁益之兵水陸俱下,荊楚之眾進臨江陵,平南、豫州,直指夏口,徐、揚、青、兗並向秣陵,鼓旆以疑之,多方以誤之,以一隅之吳,當天下之眾,勢分形散,所備皆急,巴漢奇兵出其空虛,一處傾壞,則上下震盪。吳緣江為國,無有內外,東西數千里,以籓籬自持,所敵者大,無有寧息。孫皓孫恣情任意,與下多忌,名臣重將不復自信,是以孫秀之徒皆畏逼而至。將疑於朝,士困於野,無有保世之計,一定之心。平常之日,猶懷去就,兵臨之際,必有應者,終不能齊力致死,已可知也。其俗急速,不能持久,弓弩戟盾不如中國,唯有水戰是其所便。一入其境,則長江非復所固,還保城池,則去長入短。而官軍懸進,人有致節之志,吳人戰於其內,有憑城之心。如此,軍不逾時,克可必矣。帝深納之。



(訳)

羊祜は甲を修繕して兵卒を調練し、

広く戎事(戦争)の準備を整えると

かくて上疏して述べた。


「先帝は天命に順い時流に応じて

西は巴蜀を平らげ、南は呉会と和し、

海内は休息を得る事が叶い、

兆庶(万民)は心に安楽を有しております。


しかるに呉はまたもや背信し、

辺境の事業を新たに興進なさるべきです。


そもそも期運とは

天から授かる所とは申せど、

功業とは必然的に

人を拠り所に成すものですから

ひとたび大挙して掃滅できねば

則ち、幾たびの戦役があっても

ひと時の安寧すら得られないのです。


これはまた、先帝の勲を興隆させ

為す事なくして(敵国の)

風化をも成すものでもあります。


故に堯には丹水の討伐が有り、

舜には三苗の征伐が有るのであって

彼らはみな、こうした手法で

宇宙(天下)を安んじて静め、

兵を収めて人々に泰平を齎したのです。


蜀を平定した時、

天下の者は皆、呉も並行して

亡ぼすべきだと謂いましたが、

それから十三年が経過しており、

これは(干支が?)

一周した事を指しまして

平定の期が再び今日に至った、

という事なのでございます。


論者は常に、呉楚の者は

道が有りて後に帰服し、

礼無くして先に強要すれば

(平和は長続きしない)

と議しております。


これはすなわち

侯の時代(封建社会の頃)の話でして

現代は(中央集権が成立して)

天下は統一されておりますから

古代と同様に論じる事はできませぬ。


そもそも、※道に適えるとの論述

(※呉に攻め入る意見への反対論)

は、すべて時勢に応じておらず、

故に謀議が多くなると雖も

この中から一つを決める

必要がございます。


およそ険阻を以って存立し得るには、

敵と同等の力量であれば

固守するに足りましょう。


いやしくもその軽重が同一ならず

強弱の勢いを異にすれば、

(敵の方が強い場合は)

則ち賢士ですら謀る事は能わず、

険阻を以ってすら保つ事が出来ぬのです。


蜀の国は険峻にして

山々は雲霓うんげいよりも高く、

谷は光射さぬ程に深く、

馬を束ね、車を懸けることで

然るのちに通過が適う程であり、

皆が、「(蜀の)一夫が戟を抱えれば

千人ですら当たる事が出来ない」

と述べております。


いざ兵を進める日に及んで

籓籬はんり(まがき)による制限は無く

将を斬り、旗を奪い、倒れ臥す屍は数万、

勝ちに乗じて席捲し、すぐ様成都へと至っても

漢中の諸城はみな、巣に隠る鳥の如くに

敢えて出撃しようとはして来ませんでした。


これは、戦意を喪失していたという

わけではなく、実際のところは

対抗できるだけの力が

不足していたという事なのです。


劉禅が降伏するに至って

諸々の砦を守衛していた者達は

索然として倶に散っていきました。


今、長江・淮水(攻略)の難度は

(蜀の)剣閣には及ばず、

山川の険阻さも岷山や漢中程ではなく、

孫皓の暴虐も劉禅に勝っており、

呉人の困窮も巴蜀の者より甚大です。


しかも、大晋の兵勢は

前世(蜀を平定した際)よりも多く、

物資や兵器の貯蓄も往時を上回っています。


今、この機に呉を平定せずに

改めて兵を防ぎ互いに守れば

駆り出された人夫は軍役に困苦し

干戈が日常となってしまい

盛衰の歴を経て

長久を保つことができません。


まさにこの時、平定に赴き

四海を統一なさるべきです。


今もし梁州・益州の兵を引き連れて

水陸ともに下れば

荊楚の軍勢は進みて江陵に臨み、

平南と豫州は直接夏口を目指し、

徐州・揚州・青州・兗州は

揃って秣陵へと向かいます。


太鼓や旗を以てこれを猜疑させ

多方を以てこれを誤らせれば、

一地方に過ぎない呉は

天下の軍勢に当たり

形勢は分散される事となり、

備える所は全て急拵えで

巴・漢の奇兵がその空虚につけ込み

一箇所を倒壊させれば則ち

上下の者が震え、動揺いたしましょう。


呉は長江に沿って国を為しており、

内と外の区別も無しに

東西数千里を以て籓籬を

自ら保持せねばならず、

敵とする所(=晋)は強大、

寧息を得ることなどできません。


孫皓は感情の赴くままに行動し、

臣下に対して猜忌する事が多く、

名臣・重将らに対しても

やはり自ずと信頼する事ができぬのです。


この事から孫秀そんしゅうなどは

みな逼迫を畏れて

(降伏して晋へ)至ったのでございます。


将が朝廷に対して疑惑の念を抱き、

士は野に於いて困窮しており、

御世を保つ計略や、定まった志操など

有ろう筈がございません。


平常の日ですらなお

去就について考える者がいるのですから

兵に臨んだ際には、間違いなく

応じる者が出てこようというもの、

終には力を合わせる事が出来ずに

滅亡に至る事はすでに分かりきっております。


呉の俗人は性急であり

久しく持ち堪える事は出来ず

※弓弩、戟、盾も中国に如きませぬ。

(※江南は中原ほど兵器が豊富ではない)

ただ、水戦だけは

彼らの得意とする所ですが、

ひとたびその境域へ入ってしまえば

則ち、長江は再び固守する事が出来ません。


呉が放棄した城とその堀を保てば

則ち、長所を捨てて短所へ入る事になります。


官軍が懸懸と進撃すれば

我が方は忠節を尽くす志が有り、

呉人は国内で戦うとなると

城を恃みにする意思が生じます。


かくの如くとなれば、

我が軍は逾えずして

必ずや勝利できましょう」


武帝はこの意見に深く頷いた。



(注釈)

羊祜の欠点を一つ見つけました。


話が長い!!

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