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淡々晋書  作者: ンバ
第一、宣帝紀
18/313

十七、神速の司馬仲達

500kmの道のりを

8日でーきたよ司馬えもん。



横山諸葛亮はいう、

「そなたらにはまだ

司馬懿の恐ろしさがわからんのか」

17.

初,達與亮書曰:「宛去洛八百里,去吾一千二百里,聞吾舉事,當表上天子,比相反覆,一月間也,則吾城已固,諸軍足辦。則吾所在深險,司馬公必不自來;諸將來,吾無患矣。」及兵到,達又告亮曰:「吾舉事八日,而兵至城下,何其神速也!」上庸城三面阻水,達於城外為木柵以自固。帝渡水,破其柵,直造城下。八道攻之,旬有六日,達甥鄧賢、將李輔等開門出降。斬達,傳首京師。俘獲萬餘人,振旅還于宛。乃勸農桑,禁浮費,南土悅附焉。


(訳)

当初、孟達は諸葛亮に

書状を与えてこう述べていた。


えんは洛陽から八百里、

吾の居る所よりは千二百里離れており、

吾が行動を起こしたと聞いて

討伐に当たり、天子に上奏して

反転して戻ってくるのを計算すれば

一ヶ月はかかる。


一ヶ月あれば、則ち吾は城を

已に固めているだろうし、

諸軍を整えるには十分だろう。


吾の居る所は非常に険しく、

司馬公も自らやって来る筈がない。


(司馬懿以外の他の)

諸将が来ても、患うことはない」


司馬懿の兵が到るに及んで

孟達は再度諸葛亮に告げた。


「私が行動を起こしてから

八日しか経っていないのに、

司馬公の兵が既に城下へと至っている。


何たる神速だ!!!???」


上庸じょうよう城は三面を川に阻まれており、

孟達は城外に木の柵を作って

守りを固めた。


宣帝は川を渡り、その柵を破って

直接城の下へと至った。


八道から孟達を攻め、

十六日で、孟達の甥の鄧賢とうけん

武将の李輔りほらが開門して投降してきた。

宣帝は孟達を斬り、

その首を都へ送った。


俘虜(捕虜)一万人あまりを獲て、

軍を整え宛へと凱旋した。


農業と養蚕を奨励し、浪費を禁じたため

南方は悦び、宣帝に懐いた。




(註釈)



孟達

「諸葛亮さんや。

司馬懿のいる宛から洛陽まで

300kmくらい離れてるし、

俺のいるとこまでは500kmはある。


いったんお上に連絡取らなきゃ

いけないわけだし、

これじゃあどんなに急いでも

1ヶ月はかかるって、平気平気。


1ヶ月もありゃ防備も固められるし

あんたらも準備整うでしょ?


それに、ここは地勢が堅固だから

無理攻めなんかしてこないって、


他の奴が来ても…………え??



え、マジ……?

8日で来やがった…………


神か!?」



ネタ振りから

リアクションまで完璧な孟達でした。



さすがに1日60kmも

当時の軍隊が移動するのは無理じゃない?


夏侯淵も3日で500里(200km)

などと言われてましたが

本当にそんなに移動できるのか?



劉璋→劉備→曹丕と主君を変えた人は

あと、黄権こうけんがいるのですが

彼は孟達と違って嫌われてません。


黄権の場合は旧主への信頼を

ちゃんと胸に秘めてるからです。



司馬懿も、諸葛亮への手紙の中で

「黄権は快男児です。いつも

諸葛亮さんの話で盛り上がってますよ」

と述べています。


また、演義での徐晃じょこう

この戦で孟達の放った矢が頭に当たって

亡くなったことになっています。


その他に黄忠・張遼ちょうりょう甘寧かんねいなんかも

演義では戦没する形に翻案されています。

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