百二十二・百二十三、石虎の憤懣/荊州の攻防
122.
勒令其太子省可尚書奏事,使中常侍嚴震參綜可否,征伐刑斷大事乃呈之。自是震威權之盛過於主相矣。季龍之門可設雀羅,季龍愈怏怏不悅。
(訳)
石勒はその太子(石弘)に命じて
尚書の上奏してきた事柄を省みさせ
中常侍の厳震を可否の綜合に参加させ
征伐や刑罰についての大事な決断は
その時にこれを上呈させた。
これ以来厳震の権威は盛んとなり
主相を凌ぐほどであった。
石虎の門には※雀羅が設けられるほどで
(スズメを獲る網、転じて
人の往来がなくなること=門前雀羅)
石虎はますます怏々として悦ばなかった。
(註釈)
石勒の後継者は石弘、
幅をきかせる外戚の程遐、
尚書の事業を統括する厳震。
一番現場で頑張ってきた石虎は
蚊帳の外になっちゃってる感。
彼のイライラは
どんどん募っていきます。
123.
郭敬南掠江西,晉南中郎將桓宣承其虛攻樊城,取城中之眾而去。敬旋師救樊,追戰于涅水。敬前軍大敗,宣亦死傷太半,盡取所掠而止。宣遂南取襄陽,留軍戍之。
(訳)
郭敬が南のかた江西を侵掠すると
晋の南中郎将・桓宣が
その空虚を承けて樊城を攻め、
城中の衆人を奪い取って去って行った。
郭敬は師団を旋転させて樊城を救援し
追撃して涅水に交戦した。
郭敬の前軍は大敗したが
桓宣の方でも大半が死傷した。
取られた盡くを掠めて(戦いを)止めた。
桓宣は南の襄陽を奪取し
軍を留めてこれを戍衛した。
(註釈)
樊城に拠っていた郭敬でしたが
江西へ侵攻した隙を狙って
東晋の桓宣が樊城を攻めてきます。
急いで反転した郭敬でしたが
お互いに大きな被害を被ります。
掠奪された人員は奪い返しましたが、
要衝の襄陽は東晋に取られてしまいました。
これが石勒載記、最後の戦闘描写です。
最後は白星で締めくくって欲しかったなぁ。
桓宣は譙国の桓氏であり
桓温と同じツリーです。




