百十九、古代聖王との比較論
119.
勒因饗高句麗、宇文屋孤使,酒酣,謂徐光曰:「朕方自古開基何等主也?」對曰:「陛下神武籌略邁于高皇,雄藝卓犖超絕魏祖,自三王已來無可比也,其軒轅之亞乎!」勒笑曰:「人豈不自知,卿言亦乙太過。朕若逢高皇,當北面而事之,與韓彭競鞭而爭先耳。脫遇光武,當並驅于中原,未知鹿死誰手。大丈夫行事當礌礌落落,如日月皎然,終不能如曹孟德、司馬仲達父子,欺他孤兒寡婦,狐媚以取天下也。朕當在二劉之間耳,軒轅豈所擬乎!」其群臣皆頓首稱萬歲。
(訳)
石勒は高句麗と
宇文屋孤の使者を饗応し、
酒宴が酣となると
徐光に対してこう言った。
「朕を、古よりの基盤を開いた
君主と比等すると、如何であろうか?」
徐光は応対した。
「陛下の神の如き武勇と籌略は
高皇帝(劉邦)よりも優れておいでで
卓犖(卓抜)した雄芸は
魏祖(曹操)をも超絶しておられます。
三王以来比べられる者はなく、
陛下こそは軒轅に亜ぐ御方と
申せましょうな」
石勒は笑って言った。
「人がどうして
自らを知らぬという事があろう
(俺は自分をよく知っている)、
卿の言葉はいささか行き過ぎだ。
朕がもしも高皇帝に逢ったなら
北面してこれに事え、韓信や彭越と
鞭を競い、先を争うだろう。
もしも光武帝(劉秀)と逢ったなら
(彼と)中原を並走して、
※鹿が誰の手に死するかはわからぬ。
(※中原に鹿を逐う=天下を争う。
やり合ったらどっちが勝つかわからない)
大丈夫が事を行う際には
礌礌落落(豪放磊落)、
日月のように皎然と
行うべきであって、
曹孟徳や司馬仲達父子のように
他家の孤児(後漢の献帝)や
寡婦(曹魏の郭太后)を欺き、
狐のように媚びて
天下を取るような真似は終ぞせぬ。
朕は二劉(劉邦と劉秀)の
間にあるだろうというのみで
軒轅にどうして擬えられようか」
石勒の群臣はみな頓首し
万歳を叫んだ。
(註釈)
有名なセリフですが
晩年のものだったんだねぇ。
石勒の中で、高皇帝・劉邦は
超えられない存在であるようです。
戦ってみたいというよりは
部下になって働いてみたいと。
石勒は、劉邦のファンなのだ。
もし韓信が斉で独立してたら
石勒と似た感じになりそうです。
光武帝・劉秀は、やりあったら
どっちが勝つかはわからない──
という、かなり高い評価。
石勒がもし胡族流のままだったら
割と新末の赤眉軍に近いと思う。
ので、早めに漢胡融和政策に
踏み切れるかがカギ。
并州がホームの石勒が、
先に漁陽や上谷を傘下に入れられるか?
その場合、呉漢が石虎の役をやる。
曹操と司馬懿・司馬師・司馬昭は
孤児や寡婦を騙して天下を取った
卑怯者だと述べています。
「やり方が俺とは合わない」
のであって、能力まで貶していません。
曹操はまだ、一番近代の
為政者のお手本に当たる人だもんね。




