百十五、並び起こる瑞祥
115.
勒下書曰:「自今諸有處法,悉依科令。吾所忿戮、怒發中旨者,若德位已高,不宜訓罰,或服勤死事之孤,邂逅罹譴,門下皆各列奏之,吾當思擇而行也。」堂陽人陳豬妻一產三男,賜其衣帛廩食,乳婢一口,復三歲勿事。時高句麗、肅慎致其楛矢,宇文屋孤並獻名馬於勒。涼州牧張駿遣長史馬詵奉圖送高昌、于闐、鄯善、大宛使,獻其方物。晉荊州牧陶侃遣兼長史王敷聘於勒,致江南之珍寶奇獸。秦州送白獸、白鹿,荊州送白雉、白兔,濟陰木連理,甘露降苑鄉。勒以休瑞並臻,遐方慕義,赦三歲刑已下,均百姓去年逋調;特赦涼州殊死,涼州計吏皆拜郎中,賜絹十匹,綿十斤。勒南郊,有白氣自壇屬天,勒大悅,還宮,赦四歲刑。遣使封張駿武威郡公,食涼州諸郡。勒親耕藉田,還宮,赦五歲刑,賜其公卿已下金帛有差。勒以日蝕,避正殿三日,令群公卿士各上封事。禁州郡諸祠堂非正典者皆除之,其能興雲致雨,有益於百姓者,郡縣更為立祠堂,殖嘉樹,准嶽瀆已下為差等。
(訳)
石勒は書を下して述べた。
「今より諸々の法を処する際には
悉く科令(律令)に準拠するように。
吾が忿怒により誅戮する所、
怒りから発された中旨(皇帝の意向)も
もし徳や位が已に高ければ
罪を譴責すべきでない。
死事に勤労(戦没した)者の孤児が
譴責を被る事件に邂逅(遭遇)していたなら
門下の者は皆それぞれこれを上奏せよ。
吾は行いを思い直そう」
堂陽の人である陳豬の妻が
一度に三人の男の子を産んだので
衣や帛、公的食料、乳母一口を賜り
三年間は再び従事させなかった。
この時、高句麗や肅慎が
その楛矢を送ってきて
宇文屋狐は揃って
名馬を石勒に献上してきた。
涼州牧の張駿は長史の馬詵を遣わして
図(地図?)を送り、
高昌・于闐・鄯善・大宛の使者は
その方物を献上してきた。
晋の荊州牧である陶侃は
長史を兼任していた
王敷を遣って石勒を聘問させ、
江南の珍宝や奇獣を送ってきた。
秦州からは白獣・白鹿、
荊州からは白雉・白兎が送られ、
済陰では木が連理となり
甘露が苑鄉へと降り注いだ。
石勒は、休いな瑞祥が
立て続けに起こり、遐方(遠方)が
義を思慕している事から
三年以下の刑を赦免し、
百姓の去年の逋調(未払いの納税?)を
均等にしてやった。
涼州では殊死(死罪)を特赦して
涼州の計吏は皆郎中に拝して
絹十匹、綿十斤を賜った。
石勒が南郊(帝王による天への祭祀)すると
白い気が壇より起こって天へ登った。
石勒は大いに悦び、
宮殿へ帰還すると
四年の刑を赦免した。
使いを遣って張駿を武威郡公に封じ
涼州の諸郡を食邑とした。
石勒は自ら籍田を耕し、
宮殿へ帰還すると
五年の刑を赦免して
後趙の公卿以下に
金や帛を差を付けて下賜した。
石勒は日蝕を以て正殿を三日避け
群公、卿士に命じて
各々に封事を上奏させた。
州郡に禁令を出し、
諸々の祠堂で正規の典範に
則っていないものはすべて除かせた。
その中で雲を興し、雨を至らせる事が
出来るものは、百姓に有益だとして
郡県に新たに祠堂を立てさせ
嘉き樹を殖やし、
五岳四瀆以下に准えて差を設けた。
(註釈)
涼州や西域諸国、東晋までが
とうとう石勒のことを
「中原の支配者」であると認めた。
それにしても瑞祥起こりすぎである。




