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淡々晋書  作者: ンバ
第百五、石勒載記下
160/313

九十四・九十五、功臣顕彰

94.

晉都尉魯潛叛,以許昌降於勒。石瞻攻陷晉兗州刺史檀斌于鄒山,斌死之。勒西夷中郎將王勝襲殺并州刺史崔琨、上黨內史王昚,以并州叛於勒。先是,石季龍攻劉曜將劉岳於石梁,至是,石梁潰,執岳送襄國。季龍又攻王勝於并州,殺之。李矩以劉嶽之敗也,懼,自滎陽遁歸。矩長史崔宣率矩眾二千降於勒。於是盡有司之地,徐豫濱淮諸郡縣皆降之。


(訳)

晋の都尉の魯潜ろせんが叛いて

許昌きょしょうを以て石勒に降伏してきた。


石瞻せきせんは晋の兗州刺史・檀斌だんひん

鄒山すうざんに攻め落とし、

檀斌はこの戦で命を落とした。


石勒の西夷中郎将・王勝おうしょう

并州刺史の崔琨さいこん、上党内史の王昚を

を襲撃して殺害し、

并州を以て石勒に叛いた。


これより以前、石虎が

劉曜の部将の劉岳りゅうがく石梁せきりょうに攻めており、

ここに至って石梁は潰乱、

劉岳は捕えられ、襄国へ送られた。


石虎は一方で

并州へいしゅうにて王勝を攻め、これを殺した。


李矩は劉嶽(劉岳)が敗れた事で

懼れ、滎陽から遁走していった。


李矩の長史の崔宣さいせん

李矩の手勢の二千を率いて

石勒に降伏した。


かくて司州の領有地全域と

徐州・豫州で淮水近辺の諸郡は

すべて後趙に降ったのであった。


(註釈)

反乱起こされた回数と

それを返り討ちにした回数

史上No. 1じゃないのかな石勒さん。


95.

勒命徙洛陽晷影于襄國,列之單于庭。銘佐命功臣三十九人于石函,置於建德前殿。立桑梓苑于襄國。

(訳)

石勒は洛陽の※晷影きえい

襄国に移すように命じ、

単于庭に列べた。


(※日時計)


天命を補佐した功臣三十九名を

石函に記銘し、建徳前殿へ配置した。


桑梓苑を襄国に建立した。


(註釈)

洛陽と司州取ったので、運べるものは

どんどん襄国に運んじゃうからねぇ。


日時計を移動させたから

襄国にグリニッジ天文台が

あるみたいな感じかな。


功臣39人は誰だろう。

張賓と孔萇は当確で、

石勒18騎、張敬、郭敬、程遐、

徐光、仏図澄、続咸、

身内入れていいなら石虎たちも。


姚弋仲ようよくちゅう麻秋ましゅう苻洪ふこうらはまだいないかな。


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