十四、孫権の江夏攻め
曹丕が死んだと見るや
早速攻めてくる孫権。
しかし、司馬懿に退けられます。
14.
及孫權圍江夏,遣其將諸葛瑾、張霸并攻襄陽,帝督諸軍討權,走之。進擊,敗瑾,斬霸,并首級千餘。遷驃騎將軍。
(訳)
孫権が江夏を囲むに及び
武将の諸葛瑾と張霸を派遣して
併せて襄陽を攻撃させると、
宣帝は諸軍を督戦して
孫権を討ち、敗走させた。
進撃し、諸葛瑾は敗れ、
張霸は斬られて、併せて
千余の首級を挙げた。
宣帝は驃騎将軍に遷った。
(註釈)
曹丕亡き後は
対呉戦線で活躍する司馬懿です。
曹丕が死んだ際にも
曹叡が死んだ際にも
孫権は軍を動かしていますが
いずれも司馬懿によって阻まれました。
孫権って守備側だと
たぶん勝率100%ですが、
攻撃側に回るとほぼ負けです。
黄祖と関羽降してるだけでも
凄いけど。
魏書明帝紀によれば、
孫権は226年8月に江夏を攻めるも
太守の文聘を抜くことが出来ず、
司馬懿が諸葛瑾と張霸を
破ったことも綴られています。
文聘地味だけどむちゃくちゃ強いんぢゃ。
諸葛瑾も文官のイメージ
強いですけど、一応最終的には
大将軍の位までのぼっています。
五年も経つと、勢力図が
激変していることもある
のちの五胡十六国時代に比べて、
三国時代の各国の領土は
不気味なほどに変動しません。
十中八九、防衛側が勝つんです。
攻撃側が勝つ時、すなわち
蜀と呉が滅ぶ時です。




