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淡々晋書  作者: ンバ
第百五、石勒載記下
149/313

七十六、市場混乱

76.

建德校尉王和掘得員石,銘曰:「律權石,重四鈞,同律度量衡,有新氏造。」議者未詳,或以為瑞。參軍續咸曰:「王莽時物也。」其時兵亂之後,典度堙滅,遂命下禮官為准程定式。又得一鼎,容四升,中有大錢三十文,曰:「百當千,千當萬。」鼎銘十三字,篆書不可曉,藏之於永豐倉。因此令公私行錢,而人情不樂,乃出公絹市錢,限中絹匹一千二百,下絹八百。然百姓私買中絹四千,下絹二千,巧利者賤買私錢,貴賣於官,坐死者十數人,而錢終不行。勒徙洛陽銅馬、翁仲二于襄國,列之永豐門。


(訳)

建徳けんとく校尉の王和おうか

員石(墓碑)を掘り当て、

それにはこのように刻んであった。


「律権石、重四鈞、律同度量衡、有新氏造」


はかるための基準となる石、重さ四鈞。

度量衡を統一する。新王朝が造ったもの?)


論者にも詳しい事はわからず、

瑞祥ではないかと考える者もいた。


参軍の続咸ぞくかんは言った。


「王莽の時代のものですな」


その当時は兵乱の後で

典範や制度が堙滅(隠滅)しており、

かくて、礼官に命を下し

規程に準じて法式を定めさせた。


また、かなえを一つ得た。

容量は四升で、中には

大銭三十文が入っていて、


「百は千に当たり、千は万に当たる」


と書いてあった。


鼎に銘じられていた十三字は篆書で、

意味を明らかにする事が出来ず、

永豊えいほうの倉に収蔵された。


このことから公私に

銭を用いる(発行する?)

ように命が下されたが、

世情としては喜ばれなかった。


そこで公式が

絹を流通させて金銭の売買を行い

中絹は千二百、下絹は八百までと定められた。


しかし、百姓は公式の設定とは裏腹に

中絹を四千、下絹を二千で売り買いしており

利に聡い者は私銭で安く買って

官吏に高値で売りつけていた。


(その事から罰せられ)

連座して死んだ者は十数人、

銭は終に行き渡る事はなかった。


石勒は洛陽の銅馬、翁仲の二つを

襄国に移して、永豊門に列べた。


(註釈)

うーん、ここの訳が

一番わけわかんなかった。


「乃出公絹市錢」


「市」が売買だの取引って意味があるので

公式が絹が流通させて金銭トレードをした

的な感じかな。


「絹の市場価格を公式が算出した」

かもしれない。


ワシの使っている

旺文社の漢和辞典第五版によると、

漢代から晋代の1升は

だいたい200mlなので、

4升は容量800mlか。


800mlの鼎。小さい?


晋書が編纂された唐代だと

1升は600mlにジャンプアップしてるので

2.4ℓのほうが正しいかも。


鼎の中には篆書が刻まれたお金が

入っていたとのことですが、

孫堅そんけんの拾った玉璽にも

篆書てんしょが書かれてたんでしたっけ。

演義の6回だと李斯が刻んだとありましたが

正史だとそこまで言ってなかったような。


あれも、王莽おうもうの時代のゆかりの品だし、

劉淵りゅうえんも王莽期のハンコ拾ってたし

石勒も。王莽、落し物多いな。


これは、石勒が瑞祥を重んじて

現実を無視した政策を施行するのは

まるで王莽の再来ではないか……

という、皮肉が込められてるのかな。


学業や農政を奨励したのは

よかったんですが、

適当な理由つけて宮殿を造営したり

貨幣経済混乱させたのは

はっきりしたマイナスポイントですね。

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