七十〜七十二、趙の九品官人法?
70.
使石季龍擊托候部掘咄哪於岍北,大破之,俘獲牛馬二十餘萬。
(訳)
石虎に托候部掘咄哪を岍北にて撃たせ
これを大破、牛馬二十余万を獲得した。
(註釈)
「托候部掘咄哪」
名前切るとこどこやねん。
段部や宇文部があるから
托候部の、掘咄哪さんかな。
靴とツナ、と覚えよう。
71.
勒清定五品,以張賓領選。復續定九品。署張班為左執法郎,孟卓為右執法郎,典定士族,副選舉之任。今群僚及州郡歲各舉秀才、至孝、廉清、賢良、直言、武勇之士各一人。置署都部從事各一部一州,秩二千石,職准丞相司直。
(訳)
石勒は五品を細かく審査、制定し、
張賓を領選(推挙役を兼任)とした。
また、続けて九品を定めた。
張班を署して左執法郎、
孟卓を右執法郎とし、
士族を査定させ、選挙の任の副えとした。
現代の官僚及び州郡らに毎年
秀才、至孝、廉清、賢良、直言、武勇の士を
一人ずつ推挙させた。
都部従事を一つの州に一部ずつ置き
扶持は二千石、職務は丞相司直に准じるものとした。
(註釈)
孟卓って張邈の字とかぶる。
九品官人法は、司馬懿が
中正官のバランス崩しちゃったから
名門が名門のまま
寒門は寒門のままという
弱者に厳しいシステムになった印象。
石勒は中正のポジションに
全幅の信頼を寄せる張賓を置いた。
これを、「張賓官人法」という(いわない
これでまた
貴賎の差がはっきりしちゃって、
のちに冉閔の危機感に
火をつけた……とかね。どうなんでしょ。
72.
勒下令曰:「去年水出巨材,所在山積,將皇天欲孤繕修宮宇也!其擬洛陽之太極起建德殿。」遣從事中郎任汪帥使工匠五千采木以供之。黎陽人陳武妻一產三男一女,武攜其妻子詣襄國上書自陳。勒下書以為二儀諧暢,和氣所致,賜其乳婢一口,谷一百石,雜彩四十匹。
(訳)
石勒は配下に命じて述べた。
「去年の水害によって出た巨材が
至る所で山積みになっている、
まさに皇天が孤の宮宇を
修繕しようとしているのだ!
洛陽の太極に擬えて
建德殿を増築するぞ」
従事中郎の任汪を遣り、
工匠五千人を統帥させて
総動員で木材の補給に当たらせた。
黎陽の人である陳武の妻が
一度に三男一女を産み、
陳武はその妻子を携えて襄国を詣でると
上書して自らその事を陳べた。
石勒は書を下して
二儀(陰と陽)が調和・流暢して
気が和合したために起きた事として
陳武に乳母を一人、穀物百石、
雑彩四十匹を下賜した。
(註釈)
「水害が起きて、そのへんに
木材がいっぱい転がっている!
これは私に宮殿を建てよという
天からのお達しなのだ!」
「陳武のとこに四つ子が生まれたのも
陰陽の気のバランスがよいからだ!」
うーんこのポジティブ野郎。




