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淡々晋書  作者: ンバ
第一、宣帝紀
14/313

十三、曹丕の最期

13.

及天子疾篤,帝與曹真、陳羣等見於崇華殿之南堂,並受顧命輔政。詔太子曰:「有間此三公者,慎勿疑之。」明帝即位,改封舞陽侯。


(訳)

天子の病が篤くなるに及んで、

宣帝は曹真そうしん陳羣ちんぐんらとともに

崇華殿の南堂にて魏文に見え、

揃って政道を補佐してゆくよう

顧命(遺命)を受けた。


魏武は太子(曹叡)に詔して言った。


「この三公を離間する者があっても、

慎んで疑うことのなきように」


明帝が即位し、

宣帝は舞陽ぶよう侯に改封された。




(註釈)

226年、

魏の文帝曹丕、崩御。


死亡表現が用いられていませんが

晋を正当とする史書の中で

魏帝の扱いに困ってるんでしょうか。


7年間の短い治世でしたが

曹操の代と違って、反乱が

起きていなかったようです。


諸葛亮も、曹丕が生きている間は

北伐(魏を打倒するための軍事行動)を

実行に移しませんでした。


(北伐に反対してた王連おうれんが、

225年に亡くなったというのもあるかも)



曹丕は司馬懿・曹真そうしん陳羣ちんぐん

二心なき忠臣として、後事を託しました。


劉曄りゅうようは二代皇帝の曹叡そうえいと面会し、

秦の始皇帝・漢の武帝の風があると

(この二帝には及ばないが)

評したとされます。


しかし、この曹叡も

在位十数年で亡くなってしまいます。


初代曹丕が40歳没

二代曹叡が36歳没?(34歳説も)


と、二代続けて

君主が短命であったことは

魏王朝の不幸でした。


更に曹丕は、

前漢の皇族が叛乱を起こした

呉楚ごそ七国の乱」や

外戚が朝政を牛耳る後漢の体制の

二の轍を踏むことを躊躇したのか、

藩屏はんぺいを冷遇するスタンスを貫きます。


それらの事情から、

徐々に司馬家の台頭を許し

魏の寿命を縮めてしまいました。



晋の時代になったら、

曹丕は反面教師とされますが

今度は軍閥化した王たちが

「八王の乱」を起こし、

更なる乱世へと突入してしまいます。



バランス取るの本当に難しそう。

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