五十六・五十七、祖逖襲来
56.
平西將軍祖逖攻陳川于蓬關,石季龍救川,逖退屯梁國,季龍使揚武左伏肅攻之。
(訳)
(東晋の)平西将軍の祖逖が
蓬関において陳川を攻めた。
石虎が陳川の救援に向かうと
祖逖は退却して梁国に駐屯し、
石虎は揚武(将軍)の
左伏粛にこれを攻めさせた。
(註釈)
劉琨の親友・祖逖登場!
中原が異民族に荒らされている現状に
我慢がならなかった彼は
僅かな数の義勇兵を率いて
江南から王土を奪回しにやってきました。
「志もし成らずんば死すとも帰らず!!」
と、決死の覚悟で北伐に向かう様は
あの諸葛亮を彷彿とさせます。
名前の「逖」という聞き馴染みのない字、
「狄」は異民族のことなので、
しんにょうを付けて、
「異民族を駆逐する」という名前に
改名したのだと思われます。
これだけ覚悟を決めてる男が
弱いわけがなく、江南に逃れた
晋の没落政権なんて楽勝だろ……と
思っていそうな石勒に、認識を
大いに改めさせる結果となります。
消極策大嫌いな石勒に
「祖逖とはまともにやり合ったらあかん」
と思わせたのは、何気にヤバイです。
この時の戦闘、
「晋書」では祖逖が勝っていますが、
「資治通鑑」では石虎が勝ったとあります。
間をとって
引き分けということにしておきます。
また、陳川は
川っぽく聞こえますが人名です。
57.
勒增置宣文、宣教、崇儒、崇訓十餘小學于襄國四門,簡將佐豪右子弟百餘人以教之,且備擊柝之衛。置挈壺署,鑄豐貨錢。
(訳)
石勒は宣文・宣教・崇儒・崇訓など
十余の小学を襄国の四門に増設し、
部将や補佐の臣、豪右の子弟の
百余名にこれらの機関にて教育を受けさせ、
かつ擊柝(拍子木を鳴らす人、夜警)の
衛兵として配備した。
挈壺署(時刻を司る部署)を配置し、
「豊貨銭」を鋳造した。
(註釈)
学科を増やした感じ?
小学って文字通りの初等教育なの??
石勒は教育機関の運営に
力入れてる感じがありますね。
独自の貨幣を鋳造したり
暦法の整備? に入ったり
漢と袂を別つことを表明して
国家の基礎固めに入りました。
石勒の鋳造させた豊貨銭、
資料残ってないかなぁ。
実物見てみたいです。
もしも韓信が斉で独立していたら
石勒みたいに漢を喰らってたかな。




