五十一・五十二、劉琨死す
51.
邵續使兄子濟攻勒渤海,虜三千餘人而還。劉聰將趙固以洛陽歸順,恐勒襲之,遣參軍高少奉書推崇勒,請師討聰。勒以大義讓之,固深恨恚,與郭默攻掠河內、汲郡。
(訳)
邵続は兄の子の邵済を遣わして
石勒の領地である渤海を攻撃させ、
(邵済は)三千人余りを虜にして帰還した。
劉聡の部将の趙固は
洛陽を以て(晋に)帰順していたが、
石勒に襲撃されることを恐れて
参軍の高少に、石勒を
推し崇める内容の書状を奉じさせて
劉聡討伐のための師を要請した。
石勒が大義によってこれを責譲すると
趙固は深く恚恨(恨み・怒り)し、
郭黙とともに
河内・汲郡を攻め、掠奪を行った。
52.
段末柸殺鮮卑單于截附真,立忽跋鄰為單于。段匹磾自幽州攻末柸,末柸逆擊敗之,匹磾奔還幽州,因害太尉劉琨,琨將佐相繼降勒。末柸遣弟騎督擊匹磾于幽州,匹磾率其部衆數千,將奔邵續,勒將石越要之於鹽山,大敗之,匹磾退保幽州。越中流矢死,勒為之屏樂三月,贈平南將軍。
(訳)
段末柸が鮮卑の単于の
段截附真(段涉復辰)を殺し
段忽跋鄰を単于に擁立した。
段匹磾が自ら幽州より段末柸を攻めると、
段末柸は逆撃してこれを破った。
段匹磾は幽州へと逃げ帰って
太尉の劉琨を殺害し、
劉琨の部将や補佐の臣は
相次いで石勒に投降した。
段末柸が弟の段騎督を派遣して
幽州の段匹磾を攻撃させると、
段匹磾は数千の部衆を率いて
邵続のもとへ落ち延びようとしたが、
石勒の部将の石越が
鹽山において彼を要撃したため
大敗を喫してしまい、
段匹磾は退却して幽州を保った。
石越が流れ矢に中って死ぬと
石勒は彼の為に
三ヶ月間享楽を断ち、
平南将軍の位を追贈した。
(註釈)
鮮卑の方々はまず
字面のとっつきにくさを
何とかしてくんろ。
同じ書物の同じ列伝内で
もう表記変わってるし……。
この辺複数人で編纂してる感ありありです。
318年、鮮卑段部のボスであった
段就六眷が亡くなり、
弟の段匹磾と従弟の段末波の間で
跡目争いが起こります。
当初は叔父の段涉復辰が
段就六眷の代理となるのですが、
段末波は騙し討ちで
彼を支党もろとも皆殺しにして
単于の座を挿げ替えてしまいます。
すぐ近くの拓跋部でも、親玉が
息子に殺されるという波乱があり、
権力が絡めば親族間で
醜く殺し合っているのは
漢民族も異民族も同じです。
かくて、
段末波を殺そうとしていた段匹磾は
出鼻を挫かれる形となり、
反対に大打撃を与えられてしまいます。
劉琨は段匹磾と
義兄弟の契りを結んでいたのですが、
段末波は劉琨を味方に引き入れようと
書状を寄越してきます。
この手紙を
先んじて手中にした段匹磾は
劉琨の内応を疑い、
劉琨のことを疎ましく思っていた
東晋側の王敦の謀略も重なって
結局彼は命を落とす事になります。
胡族の打倒に邁進しながら
味方の謀略によって斃れるとは
何とも皮肉な結果となりました。
段匹磾は人望のあった劉琨を
(しかも義兄弟の契りまで結んでおいて)
殺してしまった影響で
周りから総スカンをくらってしまいます。




