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淡々晋書  作者: ンバ
第一、宣帝紀
13/313

十二、司馬懿大好き曹子桓

12.

六年,天子復大興舟師征吳,復命帝居守,內鎮百姓,外供軍資。臨行,詔曰:「吾深以後事為念,故以委卿。曹參雖有戰功,而蕭何為重。使吾無西顧之憂,不亦可乎!」天子自廣陵還洛陽,詔帝曰:「吾東,撫軍當總西事;吾西,撫軍當總東事。」於是帝留鎮許昌。


(訳)

黄初六年(225)、

天子は再度船団を興して呉を征伐し

命じて宣帝に留守を任せ、

内は百姓を鎮撫させ、

外は軍資を供給させた。


行軍に臨み、詔勅して言った。


「吾は深く後事を憂えている、

だからこそ、きみに委ねるのだ。

曹参そうしんには戦功があったのに

蕭何しょうかはどうして重く用いられたか。

吾に西を顧みる憂いを

与えぬのも、またよいではないか」


天子は広陵から洛陽に還ると、

宣帝に詔した。


「吾《朕》が東に在る時、撫軍であるきみには

西の事を纏めて欲しい。

吾が西に在る時は、東を任せる」


宣帝はそうして許昌に留まり、鎮守した。



(註釈)

曹丕は司馬懿をほんとに信頼してますね。

文字通りの片腕って感じです。


劉備と関羽のいない蜀なぞ

死んだも同然とでも思っているのか、

曹丕は集中して孫権を攻めてますが

結局一回も勝てませんでした。



話に出てきた曹参そうしん蕭何しょうか

漢の高祖・劉邦の功臣です。


曹参は常に前線で戦い、

蕭何は後方支援に徹していましたが

天下が統一されたとき、劉邦は

「一番の功臣は蕭何だ」としました。


武官らが

「曹参や我々は全身傷だらけになって

懸命に前線で戦ってきたのに

後ろで事務やってただけの蕭何が、なぜ?」


と疑問を呈すると

劉邦がこのように返します。


「お前らは、狩猟ってものを知ってるか?


曹参の労は犬の労(受動的)

蕭何の労は人の労(能動的)なんだ。


蕭何が、補給や徴発を片時も

途切れさせることがなかったおかげで

俺たちは戦線を維持できたんだ。


それに、俺が旗揚げしたとき

お前らは我が身ひとつか、

もしくは親族の二、三人を

引き連れてきたが、

蕭何の場合は、一族挙って

俺のもとに来てくれたんだぞ」


さすが劉邦、見るとこ見てます。


蕭何がいるから、憂いなく

戦えた劉邦のように、

司馬懿、君にその役を委ねたい。

という曹丕の文句でした。



また、この頃になると

夏侯惇かこうとん夏侯淵かこうえん楽進がくしん于禁うきん

荀彧じゅんいく荀攸じゅんゆう郭嘉かくか程昱ていいくらは

既にこの世の人ではありません。


歴戦の勇士である曹仁そうじん張遼ちょうりょう

そして参謀の賈詡かくも223年に、

徐晃じょこうには227年に、その前後に

許褚きょちょにもお迎えが来てしまいます。


曹洪そうこう張郃ちょうこう鍾繇しょうよう陳羣ちんぐんらは

健在ですが、曹操の宿将・旧臣たちは

着実にその姿を消していっています。


どっしり構えてる孫権と違って、

曹丕には心の余裕がないように見えます。


建国したばかりの魏の権威を

知らしめるために、躍起になってるのは

わかるんですが…………


それでは海千山千の孫権には敵いません。

ふた回り年少でありながら

曹操・劉備と渡り合ってきた男よ?

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