三十九〜四十一、邵続に大敗
39.
劉聰遣其使人范龕持節策命勒,賜以弓矢,加崇為陝東伯,得專征伐,拜封刺史、將軍、守宰、列侯,歲盡集上。署其長子興為上黨國世子,加翼軍將軍,為驃騎副貳。
(訳)
劉聡は使者の范龕に節を持たせて
石勒に策命を下し、弓矢を賜り、
尊崇を加えて陝東伯と為し、
征伐の専任を認めた。
(石勒の自由意志で何処でも攻めていい)
刺史・将軍・守宰・列侯の任命については
年末に纏めて上申させた。
(石勒の自由意志で任官してよい)
石勒の長子の石興を署して
上党国世子と為し、
翼軍将軍を加えて、
驃騎(石勒)の副弐とした。
(註釈)
王浚倒したら一話あたりの記述が
ボリュームダウンしたような気が……。
匈奴漢の皇帝、劉聡は
石勒の行動の制限を
ほぼ全て取っ払ってしまいました。
石勒の功に報いねば独立の言い分を
与えることになりそうだし、
そもそも石勒の力は一臣下に収まるには
余りにも大きくなりすぎてしまいました。
劉聡は劉淵が亡くなってから
色にうつつを抜かしていたようで、
劉淵の知恵袋・陳元達の諫言にも
耳を貸さなくなっていたようです。
五胡十六国時代の混沌は
まだ始まったばかり。
40.
劉琨遣王旦攻中山,逐勒所署太守秦固。勒將劉勔距旦,敗之,執旦于望都關。勒襲邵續于樂陵。續盡衆逆戰,大敗而還。
(訳)
劉琨は王旦を遣って中山を攻め
石勒の配置した
太守の秦固を逐い出した。
石勒は部将の劉勔に王旦を拒がせてこれを破り
望都関にて王旦を執えた。
石勒は楽陵において邵続を襲撃したが
邵続が軍勢の悉くを以て逆撃してきたために
大敗を喫して帰還した。
(註釈)
石勒が自分で兵率いて大敗するのは久々です。
奇襲を仕掛けたのに、
敵が軍勢総動員して反撃してくるとは、
邵続はなかなか
洞察力に長けた武将のようですね。
彼はもともと
匈奴を中原に呼び込んだ
あの司馬潁の参軍でした。
そのあと苟晞→王浚と部署が変わりますが
主人がだいたい匈奴漢に
やられていることがわかります。
石勒が王浚をやっつけた際に
息子が捕われてしまったため
いったんは石勒に降るのですが、
「子の命のために国家に叛けない」と
涙ながらに述べ、段部と組んで
石勒に反抗を続けております。
彼の他に劉琨や祖逖のような男もいるし、
晋の求心力も捨てたものじゃないです。
25節で登場した
段末波・段就六眷は
親石勒派なのですが、
親族の段匹磾と段文鴦は
晋の方に傾いているので
ふつうに攻撃してきます。
拓跋部の争いもあるので
本当にカオスです。
41.
章武人王昚起于科斗壘,擾亂勒河間、渤海諸郡。勒以揚武張夷為河間太守,參軍臨深為渤海太守,各率步騎三千以鎮靜之,使長樂太守程遐屯于昌亭為之聲勢。
(訳)
章武の人の王昚が
科斗の塁(科斗塁という地名?)
にて挙兵し、石勒に属していた
河間・渤海の諸郡は擾乱した。
石勒は揚武(将軍?)の張夷を河間太守、
参軍の臨深を渤海太守として、
それぞれに歩兵・騎兵三千を与え
これらの鎮静に当たらせ、
長楽太守の程遐を昌亭に駐屯させて
彼らの援護部隊とした。
(註釈)
そこかしこで反乱・侵略・挙兵だの
心の休まる暇がない……。
歴史SLGで、
横綱相撲的なプレイを楽しもうかと
大勢力でスタートしてみると
ちょっとわかるのですが……
領土広くなると、その分
敵と隣接する範囲も広がるので
あっちゃこっちゃに気を配らないと
とても勢力を維持できません。
インフラ整備、治安維持、外交、侵攻、防衛、
各都市間の人員のバランス調整など
弱小勢力よりよっぽど経営が難しいのです。
石勒頑張れ!!




