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淡々晋書  作者: ンバ
第百四、石勒載記上
122/313

三十一、王浚への調略

31.

時王浚署置百官,奢縱淫虐,勒有吞幷之意,欲先遣使以觀察之。議者僉曰:「宜如羊祜與陸抗書相聞。」時張賓有疾,勒就而謀之。賓曰:「王浚假三部之力,稱制南面,雖曰晉籓,實懷僭逆之志,必思協英雄,圖濟事業。將軍威聲震于海內,去就為存亡,所在為輕重,浚之欲將軍,猶楚之招韓信也。今權譎遣使,無誠款之形,脫生猜疑,圖之兆露,後雖奇略,無所設也。夫立大事者必先為之卑,當稱籓推奉,尚恐未信,羊、陸之事,臣未見其可。」勒曰:「右侯之計是也。」乃遣其舍人王子春、董肇等多齎珍寶,奉表推崇浚為天子曰:「勒本小胡,出於戎裔,值晉綱弛禦,海內饑亂,流離屯厄,竄命冀州,共相帥合,以救性命。今晉祚淪夷,遠播吳會,中原無主,蒼生無系。伏惟明公殿下,州鄉貴望,四海所宗,為帝王者,非公復誰?勒所以捐軀命、興義兵誅暴亂者,正為明公驅除爾。伏願殿下應天順時,踐登皇阼。勒奉戴明公,如天地父母,明公當察勒微心,慈眄如子也。」亦遺棗嵩書而厚賂之。浚謂子春等曰:「石公一時英武,據趙舊都,成鼎峙之勢,何為稱籓於孤,其可信乎?」子春對曰:「石將軍英才儁拔,士馬雄盛,實如聖旨。仰惟明公州鄉貴望,累葉重光,出鎮籓嶽,威聲播于八表,固以胡越欽風,戎夷歌德,豈唯區區小府而敢不斂衽神闕者乎!昔陳嬰豈其鄙王而不王,韓信薄帝而不帝者哉?但以知帝王不可以智力爭故也。石將軍之擬明公,猶陰精之比太陽,江河之比洪海爾。項籍、子陽覆車不遠,是石將軍之明鑒,明公亦何怪乎!且自古誠胡人而為名臣者實有之,帝王則未之有也。石將軍非所以惡帝王而讓明公也,顧取之不為天人之所許耳。願公勿疑。」浚大悅,封子春等為列侯,遣使報勒,答以方物。浚司馬游統時鎮范陽,陰叛浚,馳使降于勒。勒斬其使,送于浚,以表誠實。浚雖不罪統,彌信勒之忠誠,無復疑矣。


(訳)

時に、王浚は百官を配置して驕り高ぶり、

淫虐を欲しいままにしていた。


石勒は王浚を併呑しようと考え、

先ず使いを遣って彼を観察させた。


論者はみな言った。


「宜しく※羊祜が陸抗に書を与えて

相聞した如くになさるべきかと」


(※陸羊の交わり。晋の羊祜と呉の陸抗は、

敵味方を超えた交誼を結んでいた)


この時張賓は病に罹っており、

石勒は(病床に)就きてこの事を咨った。


「王浚は仮初めにも

三部の勢力(鮮卑や烏丸など)を有しており

称制(垂簾政治を行い、やがて)、

南面(即位)する腹積もりでございましょう。


晋への称藩を口にしていると雖も

実際には密かに反逆の志を抱いておりまして、

必ずや英雄と協力して、事業を

成し遂げたいと考えている筈です。


将軍の威声は海内を震わせ、

(石勒の)去就ひとつが

(王浚の)存亡に関わり、

(石勒の)在る所によって

(王浚の)軽重が決まります。


王浚が将軍の事を欲しているのは、ちょうど

楚が韓信を招いた事例のようでございます。


今、権謀として使者を遣わし

款誠(真心)の無き有り様ですが、

失敗して疑惑が生じてしまえば

彼を謀ろうという兆候が露わとなり、

後に奇略を施そうとしたところで

用いるところがなくなってしまいますぞ。


そもそも、大事を立てる者は

必ずや先にへり下るものであり、

まさに(王浚に)称藩し、

彼を推戴するべきなのです。


なお、恐らく羊祜と陸抗の逸話は

ここで信奉すべきではなく、

私にはその利点が見えません」


石勒は言った。


「右侯の計略こそが正しいな」


かくて様子見の使者を取り下げ、

王浚の舎人の王子春おうししゅん董肇とうちょうらに

多くの珍宝をもたら

王浚を推戴して天子と為すように

上奏して述べた。


「勒は本来小胡族、出自はえびすすえであります。


晋の綱紀の弛緩により、海内の飢餓という

混乱の情勢に直面いたしまして、

流離い困苦し、生き延びるために

冀州へと鼠竄して互いに統率・迎合して

命を繋げてまいったのでございます。


今、晋の国祚は衰微して

遠く呉会まで逃れ、

中原には主人無く、蒼生(民草)は

拠り所を失っております。


慎んで考えますに、

明公殿下(王浚)は

州郷にて貴き名望がお有りになります。

四海から尊ばれて帝王と為る者が

公を除いて他に誰がおりますか?


勒が身命をてて義兵を興し

暴乱なる者を誅してまいりましたのは

まさしく明公の為に、先払いを

致しただけのことでございます。


伏して願いますに、殿下には

天命に応じ時勢にしたがって

皇帝へのきざはしを登られますよう。


勒が明公を奉戴いたします事は

天地・父母(を慕う)の如くであります。

明公には私の微心をお察しいただき、

子に接するが如き慈愛を賜られますよう」


また、棗嵩そうすうに書を遣り

手厚く賄賂を贈った。


王浚は王子春らに言った。


「石公(石勒)は一代の英傑であり、

趙の旧都に拠りて

鼎立の勢いを成しておるのに、

なにゆえ孤に称藩することがあろう。

信じてもよいものか?」


王子春が対して述べた。


「石将軍の英才は傑出しており

兵馬は雄々しく盛強であることは

実に聖旨の如く(正に仰る通り)です。


愚考しますに、

州郷における明公の声望は

累葉(累代)光を重ね、

藩嶽(赴任地)に出鎮して

威声を八表(世界)に及ぼし、

胡越はその威風を敬慕して

戎夷はその徳義を歌にする程ですのに

どうして小さな役所に區區くくとして

神闕(宮門)にて斂衽(襟を正す)しようと

なさらないのですか?


(声望・実績とも十分なのに

なぜ帝位に即かれないのですか?)


昔、陳嬰ちんえいが王の位をいやしんで王とはならず、

韓信かんしんが帝位に迫りながらも

皇帝とならなかったのは、

何故でございましょうか?

ただ、帝王の位というものは

智力で争うことが出来るものでは

無いということを、知っていたためです。


石将軍が明公をなぞらえることは

なお陰精の太陽のごとく、

江河の洪海のごとくでございます。


項籍こうせき(項羽)と子陽しよう(公孫術)の

覆車(国家転覆)は

遠い昔の出来事ではなく、

これらの事例は石将軍にとって

明鏡(すぐれた模範)でありますのに

明公はまたどうして怪しまれるのですか!


かつ、いにしえより誠に、胡人のなかで

名臣となった者は実在しても、

帝王となった者はいまだに存在しませぬ。


石将軍は帝王となる事を忌避して

明公に譲っているのではなく、

帝位に即こうとした所で

天と人とが許さないのですよ。


願わくば公、疑うことの勿きよう」


王浚は大いに喜び、

王子春を封じて列侯とし、

使者を遣わして石勒に報せると

方物を以て返礼とした。

(使者におみやげを持たせた)


王浚の司馬の游統ゆうとう

その時范陽(はんよう)を鎮守していたが、

密かに王浚に叛いて

使者を馳せさせ石勒に投降した。


石勒はその使者を斬って王浚に送り、

誠実さを示した。


王浚は游統を罰しなかったといえども

ますます石勒の忠誠を信じるようになり、

二度と疑うことはなかった。


(註釈)

石勒

「王浚を倒すにはどうすればいい?」


諸将

陸抗りくこう羊祜ようこみたいに対等に付き合えば……」


病気療養中の張賓

「対等の好誼を結ぶのではなく

下手に出て油断させるべきかと」


石勒

「右侯の言う通りだ」


孔萇・夔安・支雄

「もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな」


石勒が

「右侯の言う通りだぁ!」

的なこと言うのこれで何回めだよ。


というわけで笑裏蔵刀計に入る石勒。


秘密裏に自分に寝返ろうとした奴の

使者を斬ってしまうとは。


王浚を油断させるためとはいえ

実に徹底されてます。



張賓

「王浚はまだこちらの二心に気付いていない。


いわば背後に回られたことに

気付いていない剣客のようなもの。


その無防備な背中……

叩っ斬る……!!」


(アゴめっちゃ尖らせながら

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