二十五、死闘、鮮卑段部
25.
廣平游綸、張豺擁衆數萬,受王浚假署,保據苑鄉。勒使夔安、支雄等七將攻之,破其外壘。浚遣督護王昌及鮮卑段就六眷、末柸、匹磾等部衆五萬餘以討勒。時城隍未修,乃于襄國築隔城重柵,設鄣以待之。就六眷屯于渚陽,勒分遣諸將連出挑戰,頻為就六眷所敗,又聞其大造攻具,勒顧謂其將佐曰:「今寇來轉逼,彼衆我寡,恐攻圍不解,外救不至,內糧罄絕,縱孫吳重生,亦不能固也。吾將簡練將士,大陣於野以決之,何如?」諸將皆曰:「宜固守以疲寇,彼師老自退,追而擊之,蔑不克矣。」勒顧謂張賓、孔萇曰:「君以為何如」賓、萇俱曰:「聞就六眷剋來月上旬送死北城,其大衆遠來,戰守連日,以我軍勢寡弱,謂不敢出戰,意必懈怠。今段氏種衆之悍,末柸尤最,其卒之精勇,悉在末柸所,可勿復出戰,示之以弱。速鑿北壘為突門二十餘道,候賊列守未定,出其不意,直沖末柸帳,敵必震惶,計不及設,所謂迅雷不及掩耳。末柸之衆旣奔,餘自摧散。擒末柸之後,彭祖可指辰而定。」勒笑而納之,即以萇為攻戰都督,造突門于北城。鮮卑入屯北壘,勒候其陣未定,躬率將士鼓噪于城上。會孔萇督諸突門伏兵俱出擊之,生擒末柸,就六眷等衆遂奔散。萇乘勝追擊,枕尸三十餘里,獲鎧馬五千匹。就六眷收其遺衆,屯于渚陽,遣使求和,送鎧馬金銀,幷以末柸三弟為質而請末柸。諸將幷勸勒殺末柸以挫之,勒曰:「遼西鮮卑,健國也,與我素無怨讐,為王浚所使耳。今殺一人,結怨一國,非計也。放之必悅,不復為王浚用矣。」於是納其質,遣石季龍盟就六眷于渚陽,結為兄弟,就六眷等引還。使參軍閻綜獻捷於劉聰。於是游綸、張豺請降稱籓,勒將襲幽州,務養將士,權宜許之,皆就署將軍。於是遣衆寇信都,害冀州刺史王象。王浚復以邵舉行冀州刺史,保于信都。
(訳)
広平の游綸、張豺らは
数万の手勢を擁しており、
王浚から仮の任官を受けて
苑郷を占拠していた。
石勒は夔安・支雄ら七将を派遣して
苑郷を攻撃させ、その外壁を破った。
王浚は督護の王昌および
鮮卑の段就六眷(段疾陸眷)・末柸(末波)・
匹磾らに五万余りの部衆を統率させて
石勒の討伐に当たらせた。
この時、
城の隍がまだ修復されておらず、
そこで石勒は、襄国の城から
離れた所に柵を幾重にも築き、
防備を設けた上で敵を待ち構えた。
段就六眷が渚陽に駐屯すると、
石勒は諸将を分割して出撃させ
間断なく戦いを挑ませたが、
幾度も段就六眷に敗れる所となった。
一方で段就六眷が
大いに戦具を製造している事を聞くと、
石勒は部将たちに顧問して言った。
「今、賊が来攻して
状況はいよいよ逼迫している。
敵は多勢で我らは寡勢、
恐らくは攻囲されるであろうが
そうなればもはや解くことはできぬ。
外部に救援を求めても届かず、
内部は兵糧が底をついてしまった。
たとえ、孫武・呉起が
ふたたび蘇ったとして、
彼らでも固守する事はできまいな。
吾は、簡便的に将士を選抜して
大陣営を敷き、野戦に於いて
勝負を決そうと考えておるのだが
諸君はどう思う?」
諸将は皆、このように述べた。
「守りを固めて賊を疲弊させるべきです。
敵の師団が弱り果て、
自ら撤退しようとした時に
追撃してこれを撃ったならば
勝利できぬ事はありません」
石勒は張賓・孔萇に尋ねた。
「君たちはどのようにお考えか」
張賓・孔萇は倶に言った。
「聞けば、段就六眷は来月上旬に
北城に死兵を送り込む手筈であるとか。
その大衆は遠方より来たり
連日に渡って交戦したゆえ、
我々の軍勢は弱く乏しいと見なし、
敢えてこちらから戦闘を
仕掛けてくるなどとは考えておらず、
間違いなく備えを怠っておりましょう。
今、段氏種族の軍勢において
末柸が最も勁悍であり、
段氏の兵卒で精妙・勇壮な者は
悉く末柸の所属下にあります。
再び戦いを挑まなければ
我々の弱きを示すだけです。
速やかに北の塁を鑿って
突門(秘密の抜け道)を
二十余道ほど作らせ、
賊の守勢の定まらぬ事を候いつつ
その不意を衝いて出撃し、
真っ直ぐ末柸の帷幄へと向かえば、
敵は必ずや震え戦き、
計略を設けるには及ばぬでしょう。
いわゆる、
『※迅雷、耳を掩うに及ばず』です。
(※突然すぎて準備ができない例え)
末柸の手勢さえ奔走すれば、
余勢は自ずと意気を挫かれ
散開してしまう筈です。
末柸を擒とした後ならば、
彭祖(王浚)を日時を指して
平定することが可能です」
石勒は笑ってこの進言を納れると
即座に孔萇を攻戦都督に任じ、
北城に突門(秘密の抜け道)を造らせた。
鮮卑が侵入し、北の塁へ駐屯してくると
石勒は城の上から彼らの陣が
整っていない事を確認してから、
躬ら将士を率い、
(太鼓を鳴らして)騒ぎ立てさせた。
それと同時に、
諸々の突門を督戦していた孔萇が
伏兵とともに打って出て
末柸を生け捕りにすると、
(動揺した)就六眷らの軍勢は、
かくてばらばらになって逃げ出した。
孔萇は勝ちに乗じて追撃し、
尸が狼藉(散らかる)すること
三十余里に連なり、鎧馬五千匹を獲た。
就六眷は敗残兵を集めて渚陽に駐屯すると、
使いを遣って和睦を求めてきた。
鎧馬・金銀とともに
末柸の三人の弟を人質に送り、
末柸の解放を請うたのである。
諸将は揃って、石勒に末柸を殺して
段部の意気を挫くように勧めたが、
石勒は言った。
「遼西の鮮卑は健国(強国)である。
我らには素より怨恨は無く、
王浚に使われただけの事だ。
今、一人を殺して
一国の怨みを買うというのは
計略とは呼べぬだろう。
末柸を釈放すれば段部は必ずや悦び、
再び王浚に用いられるという事もあるまい」
かくて人質を納れると、
石虎を渚陽の就六眷のもとへ派遣して
(停戦の)盟約と、兄弟の契りを結んだ。
就六眷らは兵を引いて帰還していった。
(また一方で)参軍の閻綜に、
劉聡への捷報を献じさせた。
ここにおいて
(段部の敗北を知った)游綸・張豺は
降伏、称藩を願い出てきた。
石勒が幽州を襲撃して
将士を養うことに務めようとすると、
情勢に応じた懸案として許可され、
皆将軍位に署された。
こうして手勢に信都を攻略させ、
冀州刺史・王象を殺害した。
王浚は復た、
邵挙に冀州刺史を代行させ
信都を保った。
(註釈)
これまでに約60戦、
様々な敵を降してきた石勒陣営ですが
漢の尖兵として各地を転戦してきたため
きちんと地盤を築けていない悲しさか
人員・物資面に結構な不備があります。
石勒がいつも捕虜を埋めてるのは
養ってくだけのメシが無いからなのかな。
93年前、
関羽が樊城に敗れ去ったのも
降伏した于禁軍に兵糧の多くを
与えてしまった事が原因でもありました。
そして段疾陸眷が強い!
石勒を二回以上破ってるのは
今のところ鮮卑を擁するチーム王浚だけです。
兵も少ない、糧秣も尽きかけ、
孫武・呉起ですら守りきれないと
称する程の大ピンチに陥る石勒ですが、
こういう局面に陥っても
消極策を選ぼうとしないのが石世龍の美学。
偽りでも和睦を請うとか
城を放棄して逃げる事を
普通は考えると思います。
くたばる時も前のめりでいたいのよ!
カッコいいぜ!
ブレーン張賓(と孔萇)は
敵の心臓部、末波の軍勢を
奇襲で破る案を進言。
「迅雷、耳を掩うに及ばず」
って文句が好き。
鮮卑段部、かつてない強敵でしたが
敵のド主力の段末波を奇襲で捕えて
戦意を喪失させた上で、
丁重に持て成して解放しました。
段就六眷と段末波は
このことから石勒に恩義を感じて
敵愾心を無くしてしまったため、
以降王浚に従う事もなくなりました。
これが、この後の鮮卑段部の内ゲバの
遠因にもなっています。
こうなってくると、王浚ピーンチ。
異民族従えてブイブイ言わせてたけど
後ろ盾を失ってから一気に凋落した
司馬穎の二の舞になりそうです。




