爪切り
パチン、パチン。
爪を切る音が、モノの少ないフローリングの部屋中に響く。
パチン、パチン。
爪を切りながら、ぼんやり思い出す。
パチン、パチン。
……爪を切るのは、いつだって昼間だったな。
パチン、パチン。
「夜爪を切ると、親の死に目に会えなくなるよ」
パチン、パチン。
……いつ頃からかな、夜になってから、爪を切るようになったのは。
パチン、パチン。
会わなくてもいいや、会いたくないなあ、そんなことを思い続けてもう何年だ。
パチン、パチン。
会わないとダメかなあ、会わずにすめばいいのにな、そんなことを願うようになってもう何年だ。
パチン、パチン。
♪♪♪スマホが鳴り響いた。
パチン、パチン。
ああ、また、呼び出しだ。
パチン、パチン。
……今回も、無事に爪を切り終わってしまった。
夜に爪を切ると、親の死に目に会えないよってね。
夜に爪を切ると、親より先に死んじゃうかもよってね。
夜に爪を切ると、その音を聞きつけた悪魔が魂奪いに来るよってね。
夜に爪を切ると、悪魔に魂奪われちゃって死んじゃうんだよってね。
……迷信、かあ。
いつまでたっても元気に生きてる。
いつまでたっても元気に具合が悪いと叫んでる。
いつまでたっても、元気な親。
いつまでたっても死なない程度に不健康。
いつまでたっても使われる程度に体が動く。
いつまでたっても、元気のない自分。
……このまま、共倒れかなぁ?
親の死に目を見ながら、自分も倒れそうだ。
自分の死に目を見せながら、親も倒れるかもしれない。
そんなのはごめんなんだけどな。
♪♪♪…ああ、呼び出しの催促だ。
早く行かなければ。
早く、行かなければってね。
……いかなくても、いいかなってね。
……だって、今、夜中の3時だよ?
……どうせ、行ったところで。
さんざん文句を聞かされて、最後はお前の顔など見たくないと追い出されるに決まっている。
どうせ、行ったところで、死に目には会えない。
私は、何度も何度も、夜に爪を切った。
どうせ、行ったところで、死に目には、会えないに決まってる。
私は、何度も何度も、夜に爪を切ったのだ。
♪♪♪
私は、スマホの電源を落とし、目を閉じた。
眠らせてもらえない毎日が、目を閉じた瞬間に終わった。
眠らせてもらえない毎日は、瞬く間に私の意識を奪った。
夢を、見た。
夢を、見ていた。
夢を、見ることができた。
ずいぶんぶりに目を覚ました私は、のんびり身支度をして、家をでた。
……私は、今から、何を見るだろうか。
……私は、今から、何を思うだろうか。
珍しく、玄関に鍵がかかったままの、実家の、ドア。
今まで、一度だって使った事のなかった合鍵をつかう。
……どうせ、いつものように。
ドアが、開いた瞬間に聞こえてくるのは、歪みきった押さえきれない感情。
ドアが、開いた瞬間に飛んでくるのは、まっすぐ私に向けられる感情。
「夜爪を切ると、親の死に目に会えなくなるよ」
何年も昼間に爪を切った。
何年も夜に爪を切った。
……ドアを開けた、私が、見たのは。