ヒロイックファンタジーと西洋的世界観
水源さんの、男が好きなのは・・・を読んでなるほどと思ってPTも入れた。ただ根底の部分で時代性があったのだが、それはどうか?と思う普遍的な部分があり、そこに私は着目しようと思う。俺ガイルでも取り上げられた昔のアメリカのクラスカーストが反映されてるって話になってるが、それはそうだとは思うが、今でも十分通用すると思う。
私はオスのホルモン的な攻撃衝動の強さだとみてて、アメリカンファンタジーが出来た当時の時代性は必要だったが、きっかけにすぎないと思っている。当時それが創られたのは時代背景があったかもしれないが、今でもそれが通用するのはもっと本能的なものに根差してるからだと見ている。
そもそも水源さんもそれを女性向けには本能的なもので説明してるので矛盾してる部分がある。根本的には私の話と統一できる。あくまで当時のクラスカーストは創るためのきっかけにすぎない。ペニシリンの発明がコッホが発見しなくても後の時代に別のきっかけで発見されていた可能性があるって話と似ている。
さて今更前置きだが私は他の人の話を受けて書きたいと思ってる。それは同時に私がそうしてほしいからだ。もっと多くの人に私の影響を受けたその先を書いてほしい。だから隗より始めよとして実践している。もっと競争の先に洗練された論が構築されていくべきだと思ってる。だからこそ私は一過性で今だけ通用するような話以外を多くしてる。
なろうを超えたもっと根幹的なもの漫画アニメの物語論のようなものをやっている。もっと広げて映像作品を含めた大衆物語論のようなものが根底にある。なろうはその応用にすぎない。やりたいことは単純な批判じゃない。発展にある。
ヒロイックファンタジー=アメリカンファンタジー一択なのは、端的に言えばヒロイックファンタジーは西洋ファンタジー全般とは違うって事なんだ。だから女性と男性で男性は一択なりやすい。そもそもヒロイックファンタジーは女性が好む西洋ファンタジーとは違うからだ。ヒロイックファンタジーは西洋ファンタジーの世界観をベースに男性向けに特化して仕上げられた特別なファンタジーであるって点。
これが何を意味するか?で多くの人が同じような作品ばかりってテンプレ批判が多いが、その根幹には他の世界観のファンタジーがないのがかなり大きい。だが私の理屈から言えば、なろうで他の世界観のファンタジーが流行する未来はないだろうと書く。そもそも西洋ファンタジーではないからだ。なろうのファンタジーはヒロイックファンタジーの系譜だからになる。
要するに和中華中東などもヒロイックファンタジーとしての特殊な型を作り上げてないからになる。
西洋だけが他の地域に比べて暴力的なわけじゃない。多少あるかもしれない私は遺伝子に詳しいので西洋文明の根底に遊牧民の末裔の文化があるからになる。歴史的には全く分かってないが、何故か欧州人は男性ばかりの集団が先住民と混血してできた民族になる。それが暴力的だったのか?は分からない。
ただそれでもそれが重要なわけじゃない。文化を超えたヒロイックファンタジーの男性ホルモンを刺激するような構造が今の状況を生んでいると見ている。
じゃ他の文化もヒロイックファンタジーとして加工すれば可能じゃないか?ならここで突きつける。そんな未来は多分無い。その理由は、これは創始者効果にあると思う。2度と歴史はやり直せない。ゲームに使われたのが西洋世界観のヒロイックファンタジーだったからになる。その歴史はタイムマシンでもない限りやり直せない。
ちなみに不可能ではない困難だと書いてる。どうすればいいか?かけるがそれは机上の空論じゃないか?と思うからだ。剣を刀に変えて、魔法を仏教ベースの特殊能力、陰陽道に変えてもだめだ。根本的に服飾的じゃない魔法とは違う何か?を陰陽道が出せるか?にある。書けば書くほど無意味な抽象論にしか思えない。
何故なら過去そう思って作ってきた多くの作品が、ただの表面上の変化にすぎなかったからだ。マザーというゲームを過去やったことがあるのだが、これ根っこの部分はただのRPGだと思った。世界観はスタンドバイミーぐらいの時代のアメリカだと思う。多分ITをベースに作ったと見ている。
でもこれ飾りだけで中身は剣と魔法の西洋ファンタジーとそう変わらないなってのが感想になる。ただしさすがにストーリーは全く違う。バトル部分のシステムが大差なかった。シェアわるーどの価値は皆わかってると思う。その価値を捨ててまで覚えたいことなのか?これって思うと何故今一択世界観なのかわかってしまう。
また抽象的な妄想に近くなるが、確かに他の世界観でも新しい新機軸になるヒロイックファンタジーを作り出すのは可能だろう。だがそれはシェアワールドの価値を捨てるほどでかつ、新奇な世界観を理解するほどの魅力がなくてはならないんだ。その魅力は表面上の違いであってはならないんだ。違いを作るのは簡単だ。だが、それが魅力的なのは難しくなる。
私はこの妄想を具体的な言葉にする自信がない。これまでのゲームの歴史からも多分なろうにおいてもゲームよりは簡単だが、これを実現するのは無理なんじゃないか?と見ている。何故なろうは今みたいな西洋ファンタジー一択なのか?の答えとそれはこれからもずっと変化がない未来だと言える根拠を見つけてしまったと見ている。
これは歴史の問題を含んでいる。IFウルティマやウィザードリーの前の時代に和中華中東の世界観ベースのヒロイックファンタジーが大流行していたなら今とは違った創作の歴史があったかもしれない。
ただ問題もはらんでいる。ドラクエでジパングに行った人はいるだろう。かつWIZは私はやってないが忍者が居たのは知っている。砂漠の中東風の町も良く出てくる。わざわざ純粋な和風ファンタジーを作る価値があるのか?そもそも疑問がある。
世界観の点でこれからもおそらくなろうは既存の西洋以外の世界観が選択されることはないと思っている。唯一可能性があるのが私が書いた妄想の産物になる。だが書いてることがどうもラプラスの魔じみた妄想っぽいと感じてしまっている。言葉ではいくらでもいえるが、その言葉に価値があるのか?がどうも疑問なんだ。
新しい世界観に挑戦してみたいと思う人は是非この話を読んでみてほしい。何をやらなくてはいけないのか?が分かるはずだ。そして私の話の妄想めいた部分から諦めてしまう可能性も大いにあると思う。ただ作った後何故受けないんだ!って嘆きはこれでかなり減ると思う。今ある事態は必然なんだ。そこから目を背けてはならない。