第一章 ep.1
第一章
「またかかったの!?」
放課後の清閑な教室には似つかわしくないほど突拍子のない声が上がった。その声の大きさに、少ないながらも教室に残っていた生徒達が彼女の方を見た。声の主は桜井妃芽。割と小柄で人形のようにかわいらしく、声もそれ相応にかわいいが、言ってることは辛辣である。彼女は様子を窺っていた周りの生徒を訝しげに睨みながら、
「毎度のことながら信じられないわね。このあたしがきちんとテストに出るところを教えてあげてるっていうのに何でそんな悲惨な結果になるのよ。ちゃんと人の話聞いてたら、こんなほとんど誰もかかっていないような補習に出なきゃいけなくなることもないとあたしは思うんだけれど」
冷たい言葉を発しながらも、目は笑っている所を見ると、彼女の中でこの友人は、その他大勢の生徒達とは一線を画しているようである。そんな睨まれたその他の生徒達は、補習の時間が近いこともあり、教室を出始めていた。
「いやー、聞いてはいるんだけどさぁ…。頑張ってるんだけどさぁ…。難しいよねぇ〜。さすがテストと言うべきか。勉強しようと覚えようと考えるのに、なぜ人はテスト期間の掃除意欲に負けてしまうのか。これってさ、結構深い永遠のテーマだと思わない?」
「意味分かんない」
神妙な顔でうなずく彼女の友人であるはず春日結衣の意見を一言でばっさりと切ってしまった彼女は、腕組みをしたまま椅子の上にずんと座った。なかなか絵になる姿ではあるが、かなりの顔で友人を睨みつけている。正直三席ほど離れて窓を窺うふりをしながらチラ見しているだけの、直接睨まれているわけではないはずの俺も、思わず肩がすくんだ。
と、ここで誰でも浮かぶ疑問。お前は誰だ。まぁ、当然の流れと言いたいところですな。さっきまではただの作者のような第三者的な存在が語ってるのかなと思っていたかもしれないが、実際は違う。そう、この場にいる人間、つまり俺が語っているわけで。
「でもさ、ほらあたしだけじゃないし。そーごくんも一緒だし」
そう、そーごくんも…って俺か!?いや、俺そーごくんじゃないんですけどね。それ本名と違うんですけどね。
「槙野?いたからなんだっていうのよ」
それ。本名それ。そーなんです、どうも皆様、初めまして槙野です。ってそんな目で俺を見るな!!怖いから、マジ怖いから。
「いや、だからさー。赤信号、みんなで渡れば怖くないみたいなこの心理ってやつですさ。うんうん」
ふ〜んとつぶやきながら桜井妃芽は俺と春日さんを交互に見る。しばらくして俺がその目にマジに耐えられなくなった頃、思い出したように席を立った。鞄をつかんで腰に手を当てながら、
「まぁ、いいわ。補習なんてさっさと終わらせなさいよ」
そう言い残して去っていく後ろ姿にはーいと手を挙げながらきちんと返事をする春日さんは本当にいい人だと思う。何で春日さんはいつもあの通りの口の悪い姫と一緒にいるんだろうか…。
そう、姫。これは彼女の名前の変換ミスでも何でもない。まぁ、確かに彼女の名前が由来だからではあるが、その名に恥じないくらい彼女自身はお姫様だからである。つまりはわがまま、自由奔放、やりたい放題。そしてその容姿からなのかなんなのか、しっくりきてしまうため誰も否定しない。でも近付かない。みんな、不愉快な気分になってしまわないようにうまく彼女と距離を置きながら学校生活を送っている。もちろん、俺もそんな生徒の一人である。
「妃芽に怒られちった」
いひひと笑いながら春日さんが俺の方を見る。
春日結衣。わりと小柄ぎみな姫(あくまで俺視点であって、女子の中では割と平均的じゃないかと思われる)とは違って背が高く、手足が長い。目がでかい派手な顔つきの姫とは違って割とシンプルな顔立ち。でも、かわいい。めちゃくちゃかわいい。そして、性格はあの姫といつも一緒にいることが信じられないほどの温厚さを持ちながら、万人に優しい(というか、本当になぜいつも一緒にいるのか分からない)。そう、こんなに褒めちぎれば気付いてしまうだろう、恥ずかしながら俺の片想いの相手である。もちろん、高嶺の花であることは承知の上での片想いだ。
「そーごくん?」
何にも答えない俺の顔を覗き込むように春日さんが前に屈む。
「え?あ、はい」
なんとも間抜けな声が出た俺の様子を気にかける様子もなく、
「聞いてたー?」
と言い、またいひひと笑う春日さんを見ながら、懸命にうなずくだけの俺。ただのへたれ。そう、俺は好きな子と満足に話すことが出来ないほどのへたれである。悲しい事にかかってしまった二年生最初の中間試験の数学の補習で、A組でたった二人しかかかっていないというこの好条件で、まだ先生が来ていないというこの幸せな状況で、この三席分の距離を言葉ですら埋めることが出来ない。早く時間が過ぎて先生が来ればいいのにって思うくせに、もうちょっと二人きりでもいいなとも思う。我ながら、めんどくさい感情をもてあましている。
今少しでも共感してくれた君、いい関係を築いてゆけそうだ。
今鼻で笑った君。泣くぞ、俺が。
所詮平凡な顔立ちで生まれてしまった、背丈も家庭環境も平凡な(成績は残念だが)人間は、ただただ宿命に抗わずに流されるがごとく生きていくべきなのだよ。その方がいいんだ。いいんだってば。断っておくが、別に言い訳なんかじゃないからな。おい、憐れんだ眼を俺に向けるなよ。高望みをせず平凡に、静かに生きていこうというこの勇ましい決意をむしろ崇めて欲しいね。…だからこんなこと考える前に話しかけろよ、とか言うなよ。泣くぞ、本気で。