09 荷物を運ぶだけの簡単なお仕事です(詐欺)
聖隆の言葉に、キッチン側の窓から目を凝らした静香が何かを発見する。
「馬車か。祐少年が立ち去ったときにも見かけたな。それと、信じられないサイズの荷車を引いて信じられない速度で走っている人間がいるが、信じられない」
「聞かされた側も何一つ信じられませんよ!? それ」
「彼は僕より上位ランクの冒険者です。馬車と並走して来たんでしょう」
先程の戦闘を見ていた住人達にとっては、『あれよりさらに強い人物がいる』と言われても、想像が及ばない領域の話だ。
窓の遠くに見える異様な光景に、篤志と乃愛も言葉を失っていると、程なくアパートの前に馬車が停車した。
「なるべく接触は控えてもらいたい」と自重を促された住人達は、部屋の中で待つことにしたのだが、怪しいガスマスク人間が聖隆の後を追っていく。
馬車と並ぶ巨大な荷車。それを引いていた人物が聖隆に声をかける。
「とりあえず野宿用に使えそうなものは持って来たが、ざっと見て足りないものがあれば言ってくれ。また持ってくるからよ」
だが、静香は首を傾げている。異世界の言葉なのだ。
向こうも首を斜めにした異様なガスマスク人間に気付き、わずかに動揺した様子だったが、すぐに何者か察したようで豪快に声を上げて笑った。
「そこの変なのは巻き込まれた奴か? 俺の言葉はわからないだろうけど」
「かなり好奇心旺盛な人みたいで……『ワイルドハント』の発生は感知していましたか?」
「ああ。ギルドの予想より早かったな。もうちっと急げば助っ人できたんだが」
「上位ランクのインスティゲイターが不在の小規模なものでしたから、問題――は少々ありましたが、なんとかなりました。この方のおかげでもあります」
「まさか戦ったのか!? 見た目だけでなく行動も異常なんだな……」
すると、その会話を理解できていないはずの静香が、聖隆に向かって言う。
「この男性は今、私に失礼なことを言ったな? 表情で分かるぞ」
「い、いえ……『とても頼りになる人です』と紹介しただけですから」
「漫画家の観察眼を侮ってほしくないものだな。それも嘘だろ?」
「それは観察ではなく猜疑心ですよ……」
荷車を引いてきたクルトにとって、静香の言葉はモガモガ言っているだけにしか聞こえないはずだが、彼も両手で宥めるような仕草をしている。
そこへ馬車から降りた少女が駆け寄ってきた。
「クルトさん。自分の師匠がセクハラ人間だからって、そんなとこまで感化されちゃダメですよ?」
「違うって! こんなの見たら誰だっておかしいって思うだろうが!!」
そう言われてガスマスク人間を見た少女は、なんの遠慮もなく吹き出した。
ところが相手は怒るでもなく、少女のほうを見て何やら興奮している。
何か言いながら、手で胸の形を強調するジェスチャーをしてみせた。
「こっちに紛うことなきセクハラ人間がっ!?」
少女は両腕を抱くようにして、ガスマスクからの視線を遮るように双丘を隠す。
荷車を引いてきた巨漢の男性は、クルト・ハインズで年齢は三十二歳。
長い金髪を三つ編みにしている巨乳少女は、レオノーレ・クーア、十七歳。
聖隆に二人を紹介された静香は、長い手袋を嵌めた自らの手を差し出した。
二の腕まである長い手袋は日焼け防止用などではなく、本来はドレスに合わせるもので、デニムパンツとプリントTシャツには不釣り合いだが、サテン生地の光沢だけは美しい。
「綺麗な手袋が汚れちまうけど、いいのか?」
そう言いながらも遠慮せず静香と握手するクルト。一方のレオノーレも「すべすべだー」などと言いながら、握手を交わした。
いずれにしても静香には言葉が分からない――はずが、少女のほうは英語だ。
静香も英語で尋ねる。
「君も転生したのかな? 名前はドイツ系だろうか?」
「ええ。生まれはドイツよ。そちらは日本人よね? 顔が分かんないけど」
静香が聖隆のほうを見る。すっかり困り顔が定着した聖隆が首肯したので、いかついガスマスクを外した。髪の毛はぼさぼさになっているが、平然としている。
第一印象のインパクトを考えれば驚くこともない行為だが、マスクの下の美貌にクルトは驚きの表情を浮かべたまま固まり、身長一六八センチの静香と目線の高さが同じぐらいのレオノーレも、一瞬瞠目してから微笑みを浮かべた。
「違う意味でマスクをしておいたほうがいいかもね?」
「おおクリスティーヌ!! 私が死んだら指輪を返しておいてくれたまえ!」
「残念ながらこの世界にオペラ座はないわよ。芝居小屋ならあるけど」
それを聞いた静香が再び輝く瞳で聖隆のほうを見ると、顔を背け目を合わせないようにしていた。
その様子を見て察したのか、レオノーレが年下を窘めるように言う。
「町は危険よ? あなたみたいに若くて綺麗な人は危ないんだから。誘拐とか」
「ありがとう。だが、私は二十四歳だ。お嬢さんのほうが危険ではないかな?」
「えっ、そうなの!? ごめんなさい。私は大丈夫。強いから」
「彼女はまだランクCですけどね。ちなみにクルトさんはランクAです」
「一緒に来た二人は師弟だろうか? それとも恋愛関係にあるのかな?」
「ただ冒険者ギルドから派遣されてきた同業者ってだけよ?」
「問題はトイレなんだが――」
唐突に話題を変える発言に一同は沈黙した後、優先すべき行動に立ち戻ることにした。そもそも引っ掻き回したのは、当の発言者である静香なのだが。
そんな出オチコントを見ていた雅人が、隣の乃愛に尋ねてみる。
「ガスマスク持ってる?」
「あんなの常備してるのは静香さんぐらいでしょ? もう外してるし、なくても大丈夫っぽくない?」
二人は二階の共用廊下から異世界の来訪者を眺めていた。
「なるべく外には出ないように」と言われても、好奇心が勝る年頃なのだ。
視線の向こうで好奇心を行動に直結させている静香のアクティブな姿に、雅人は感嘆の声を漏らす。
「凄いよな、美邑さんって……危なっかしいのに死にそうにないというか」
「映画だと『絶対死んだ』と思わせて最後にひょっこり助かってるタイプね」
「なにー? 鮫映画の話ー?」
いつのまにか乃愛の隣に並んでいた紗苗に、二人が顔を見合わせ笑っていると、下から静香の声が飛んだ。
「喜べ、非モテボーイ! おっぱいが追加されたぞー!!」
追って「今の絶対セクハラ発言でしょっ!?」と叫ぶ少女の声が飛んだが、雅人と乃愛はその言語を部分的にしか理解できない。
紗苗は何かがツボに嵌ったようで、二人に背を向けて肩を震わせていた。
「なんて言ったか分かんないけどやめてよねっ!!」
異世界の少女は英語で静香にクレームを付けている。
一方の静香は、何食わぬ顔のまま引き続きトイレ問題について聖隆に尋ねた。
「外に仮設というのも危険だろう。固まる砂でも使うのかな?」
「少人数ならまだしも、八人ですからその方法は難しいですね」
そう答える聖隆から少し離れた場所にいたクルトが声を張り上げる。
「おーい! さっさとやっちまうから住人追い出してくれー!!」
雅人と乃愛が異世界言語で叫ばれた言葉にぎょっとしていると、クルトの言葉は分かっていないはずの静香が大声で警告する。
「みんなアパートを離れろー!! 爆破されるぞーっ!!」
隣で聖隆が絶句している――当然ながら静香には、まだ何も伝えていないのだ。
それでも静香の言葉は効果覿面だ。住人は即座に部屋を飛び出し、二階にいた者も転げ落ちるように階段を下りた。
住人達は声を揃えて疑問をぶつける。
「なんで!?」
「いや、私の膀胱が限界なのだ」
「静香ちゃんの放尿って、そんなに破壊力があるのー?」
「うむ。そのぐらい危険な状態ということだ。一種の隠喩だな」
「『アパートが爆破されるほどの危機』に等しいってことね。分かるわー」
静香と紗苗だけがうんうんと深く頷きあい、他の住人達が謎の会話に至った経緯を掴めずにいると、突如、音も立てずにアパート全体が空中に浮き上がった。