04 死ぬほど美味いものが乗っている卓袱台パラドックス
引き攣った顔を整え直しイケメンに戻った聖隆が、質問への返答を再開する。
「続いて六番目と七番目ですが、祐君は地球の日本では本当に亡くなっています。今ここにいるのは間違いなく本人ですが、今後この世界で行きていけるように神様が新たな身体を用意していますので、肉体は転移されていないんです」
「その身体で日本には戻れないん――だろうね……」
「はい……残念ですが。そうなった場合、祐君の身体が同時に二つ存在する状態になりますから、地球では大問題になるでしょうね」
「つまり、魂みたいなものだけがこの世界に移動したんですか?」
「そう考えてもらっていいと思う。魂は我々人間が定義できるものではないので、僕からはなんとも言えないんだよ」
「なるほど……じゃあ優先度の高い質問と答えは以上ですね」
「モガガーッ!!」
「静香さんは後で訊いて!!」
『後で』――その犠牲者は誰か? 住人達はそれを分かった上で言っている。
ずっと黙って話を聞いていた、小学生の祐でさえも。
聖隆だけは、説明の責務を果たせたことに安堵しているようだ。
空気を読める少年、大久保祐が押し黙っていたのには理由がある。
その理由を説明するために、「それから――――」と少し間をとってから聖隆が口を開く。
「みなさんにとっては急な話だとは思いますが、大久保祐君はこのあとすぐ、このアパートを離れることになります」
「えっ――!?」
別離を覚悟していた住人達さえ、それほど性急に事が進むとは考えていなかったのだろう。
「お気持ちは分かりますが、この世界の情報は、受け取る側ではなく渡す側が選ぶものだとご理解ください。記憶を持ったまま元の世界に戻れるかどうかも、双方の世界を管理する神の裁量次第なんです」
手の力が抜けた乃愛から、期せずして自由を与えられた女が言う。
「それは詭弁だな。厳格であることを求めるならば、こちらは『そもそも最初からミスするな』という卓袱台に手がかかっているのだからな」
「美邑先生、ぼくのせいでごめんなさい……」
「いやいや祐少年、私個人は大いに喜んでいるぞ? むしろ感謝したいぐらいだ。みんなを私達が巻き込んでしまったんだよ。誘蛾灯だな。祐だけに」
「誰が蛾ですか。話をややこしくしないでください美邑さん……」
雅人がげんなりした顔で言うと、聖隆は硬い表情のまま謝罪する。
「すみません……こちらの表現も傲岸で不適切でした。転生経験者の先輩として、祐君には少しでも早くこの世界に馴染んでもらいたいんです。ちゃんと教導担当の冒険者が面倒をみてくれますから、衣食住に不自由することもありません」
「いや、私は気にしていないぞ? ただ、卓袱台はいつでも虎視眈々と裏返る機会を狙っているのだ。そう、今も貴方の後ろで卓袱台が――」
「話をややこしくしないで静香さん」
半眼で睨む乃愛は拳法家のように右手を差し出し、『またこいつでそのお喋りな口を塞がれたいのか?』と威圧している。
その一方で、雅人はどこか吹っ切れたような表情になっていた。
「俺は祐が楽しく暮らしていけるなら――できればもう少し安全な世界がよかったんですけど。それでも生きて今後の人生を過ごせるなら、文句はありませんよ」
「ちょっとまーくん。ゆーくんの前だからってカッコ付けてるけど、連れてかれたあとどうなるか知らないでしょー?」
「どうなるんです?」
「そりゃもう美少女に囲まれてウハウハよーっ!」
「あの、紗苗さん……違いますからね? ぼくも冒険者になって戦うんです!」
「せっかく生き返ったんだ。安全なところでのんびり暮せばいいだろうに」
「ありがとうございます大家さん。だけどぼくは、この世界で困ってる人達を助けてあげたいんです!!」
拳を握り締め、ふん! と鼻息を荒くする祐。
その姿を見た住人達は、これまで少年が過ごした日々を思い出したのか、複雑な面持ちのまま説得の言葉を呑み込んでいる。
片親で裕福ではない生活の中でも、明るく礼儀正しく正義感も強い――
そんな少年だからこそ、ここでお別れになるのは受け入れ難いのだろう。
「みなさん、今までお世話になりました。ぼくは死んだのに最後に挨拶できて嬉しかったです!」
「それは祐少年が今まで頑張ったご褒美だと思えばいい」
「美邑先生……だけど、みなさんを巻き込んでしまって……」
「それは私へのプレゼントだ」
「つまり美邑さんがみんなを巻き込んだということだから、祐は気にするな」
「うむ! みんなも楽しんでくれると嬉しい!!」
住人達からは「ゆーくんは悪くないよー」「祐は気にすんなよ!!」「静香さんは謝罪と反省を!」と、祐を気遣う言葉とその他が返ってくる。
そこで大家が場を落ち着かせるべく、パンッ! と手を叩いた。
「ゆっくりお別れできないのは残念だが、お互いに時間は流れていくんだ――祐、この世界では、うんと楽しみなよ?」
「ありがとうございます、大家さん! 戻ってから大変だと思いますけど……」
「そんなこと気にしなくてもいい。こうして話ができただけでいいんだよ」
「はい……」と俯く祐の頭にぽん。と手を置いて雅人も声をかける。
「祐……この世界のことはよく分からないけど、お前は強いし賢いからきっと上手くやれる。俺には兄と姉妹はいるけど弟がいなかったから、祐を弟みたいに思ってきた。時々は俺のことも思い出してくれると嬉しい」
「はい。雅人くんの部屋で一緒に食べたカップラーメンの味も忘れません!!」
「安物のさらに特売品だぞ? 他は心配してないけど、無茶だけはするなよ」
「ありがとう。雅人くんもお元気で」
それから住人一人ずつと別れの挨拶を交わした祐は、外で待機している冒険者とともに近隣の町へ向かうことになった。
聖隆が先導してドアを開くと、涙でぐしゃぐしゃになった祐が玄関で深々と一礼してから外へ出ていく。
そこから先は、何もかもが未知の異世界だ――――
手を振る住人達に見送られながら、祐は数人の男女とともに新たな人生へと旅立っていった。
聖隆は他の異世界人の男性と話をしている。
その人物を見送って大家の部屋に戻ってきたところに、大家から質問が飛ぶ。
「水も出なけりゃトイレも風呂も使えない。食料だってそんなに持たないだろう。どうすりゃいいんだい?」
質問のテーマを限定されなければ、まだまだ喫緊の課題は残っているのだ。
住人達も『そういえば……』と買い置きの量に思いを巡らせている。
上下水道、電気、ガス――生活インフラのすべてが使用不能となり、食料の備蓄も覚束ない。冷蔵庫の中身が駄目になるのも時間の問題だ。
異世界サバイバルに騒然となる一同を宥めるべく、腰の高さに上げた両手を上下させながら、聖隆が言う。
「まあまあ、皆さん落ち着いて。各部屋に浴槽はありますよね? それらを入浴用と生活用水の貯水用に分けて使ってもらいます」
「水はどこから引くんだい?」
「魔法だね!? ちらっとでも見せてもらえないだろうか? まほチラ!!」
「静香さん――――」
再び乃愛の手が速やかに静香の口を塞ぐ。
魔法の存在に実感が湧かないまま注視する一同の前で、聖隆は事もなげに「いいですよ?」と、指先にテニスボールサイズの水球を作り出した。
「モガーッ! モガガーッ!!」
興奮する静香以外の全員が瞠目したまま硬直し、やがて息を吐いて脱力した。
人間は身体から水分を失えば簡単に死ぬ。転生した祐の死因でもあるのだ。
水を確保できない危機感は、災害時の買い占めのようなパニックを引き起こす。
この場で聖隆が水を出して見せたのは、ひとまずの安堵感を与えるためだったのかもしれない。
「水はこのような魔術で出すのではなく、地下水を使用してもらいます。荒れた土地ですが、地下には水脈がありますので」
「なるほど……それで浄水器の押し売りを」
「持っていたのは偶々だし、押し売りでもないよ雅人君……」
聖隆の表情に、いよいよ疲れが見え始めた――