12 天体運動と朝の運動
朝食を済ませて早々に馬車で立ち去ったクルトを見送った一同は、ぐったりした様子の聖隆と元気一杯の静香を交互に見て、昨夜何があったのかを訊くまでもなく理解していた――ただ一人、怪訝な表情の少女が静香に英語で尋ねる。
「ま、まさか……変なことしてないでしょうね?」
「聖隆氏、この子はエロ妄想が激しいのだろうか?」
静香は日本語で聖隆に問いかけたが、スルーされてしまう。
「何もないよノーレ、真面目な話をしていただけだ」
「ちょっと待って! 今この人、『エロ』って言ったでしょ!?」
「いやだからそれは別の意味で……」
「私のことでしょ!? ちゃんと訂正して!!」
二人は異世界言語で会話している。
なんとも複雑な状況だが、静香だけは悪戯を思い付いた子供のような表情のまま冒険者の会話を眺めて、また英語で切り出した。
「女は奔放ならばいいというものでもない。まあ、仲良くしようではないか」
「一定の距離を置かせてもらうからね!!」
静香は目を細めた狐のように笑うと、また日本語で聖隆に言う。
「フラれてしまったよ。これでも女子受けはいいほうだったんだがな」
「優しくしてあげてください。彼女はランクCに昇格したばかりで、これが昇格後初めての任務なんですから」
そう聞かされても、微笑を浮かべたまま「なるほどな」と答えるだけだった。
その後、静香は地面に突き立てられた棒の周りをぐるぐると回り始める。
太さ十センチほど、長さも三メートルはある木の棒を用意して、地面深くまで突き立てたのは聖隆だが、そこから先の作業は静香一人で行うようだ。
薄雪荘の面々は静香がやろうとしていることを理解したのか、黙って眺めている者が多い中で、よく分かっていない人物が疑問を呈する。
「何してんだよあいつは……とうとうぶっ壊れちまったのか?」
「たぶん日時計ですよ、陣内さん」
正確な十二等分図を書くためには、まず直角に交わる十字を書く必要があるが、そこは三角定規で済ませているのに、何故か分度器は使わず円を書いて交点を作る作業に没頭している。
「つーか、なんでわざわざ日時計なんか作ってんだよ」
「本当に地球の一時間と同じなのか、確認するためじゃないですか?」
「こっちの世界には時計がねえのかよ!?」
「時計はあっても、貴重品なのかも」
そこに聖隆が歩み寄り、雅人の予想を肯定してから言う。
「僕は持ってるとは伝えたんだけどね……『どうしても作りたい』と言うから好きにやらせてあげたんだよ」
「すみません、ウチの変人が重ねてご迷惑を……」
「いや、僕も日時計を書くところから見るのは初めてだから、勉強になるよ」
「この世界の時計も十二時間方式なら、地球の時計と見比べるだけで済むと思うんですけど……」
「『それでは時計に時間を認識させられているだけだ』と言っていたよ」
「当たり前の話ですね……」
「いや、おそらく絶対的な指標を相対的な体感として認識するために、絶対的な天体運動を確認したいということだろう」
「うーん……なるほど」
「マー坊、お前絶対分かってねえだろ!?」
そんな話をしているあいだに十二等分図が完成し、数字の入る部分に何故か声に出しながら十二支を順番に書き込みつつ、静香がギャラリーのほうを何度もチラ見する。
しかし、誰も止めてくれないことに肩を落としてから漢字を消し、今度はローマ数字を書き始めた。『4』を『Ⅰ』四本で書いているのも、何かの拘りだろう。
「さっきの十二支は、ツッコミ待ちだったんですかね……」
「『それは十二時辰で二十四時間になるのでは?』と、指摘してほしかったのかもしれないね」
それを聞いた雅人が手で拡声器を作って言う。
「笑いを取るボケと鼻につく薀蓄自慢は違うんですよーっ!!」
「失敬だな雅人君は!! 『オトボケ・ゲンガク』と言ってくれないか!」
古い漫画のように拳を握った両手を上下させて抗議する静香に、意味が分かっていない雅人が放った言葉も斜め上だ。
「誰ですかそれ?」
そんな二人の、計算しているのかしていないのか分からない会話がツボに嵌ってしまったのか、聖隆は口を抑えて笑いを噛み殺していた。
「いや本当に面白いね。君達は」
「俺を含めないでください。一晩付き合わされてそう言える聖隆さんも、なかなかの強者だと思いますよ……」
「経験値では、みんなに遠く及ばないよ」
「こちらが慣れたら付け上がりますから、時々無視してください」
「そこーっ!! 何やら罵詈讒謗が聞こえるぞーっ!!」
何故か真顔のまま、空手の構えのようなポーズで人差し指をこちらに向ける美女の姿がさらにツボに入ったのか、今度は吹き出してしまう聖隆。
一方の雅人は疲れた表情になっている。
「なんであんなに元気なんでしょうね……」
「現役高校生にそこまで言わせるんだから、相当なものだね」
「美邑さんは現代の妖怪の一種じゃないかと思ってます」
「ああ、本人もそう言ってたよ。クルトさんが『地球ってのはそういう種族もいるのか!?』って信じちゃって。もうおかしくてね」
雅人は『あの人は……』と呆れ顔ながら、楽しそうに話す聖隆を見て呟いた。
「妖怪には妖怪の役割があるのかも……」
だが、それは所詮人間の目線にすぎない。相手は人外の思考で動いているのだ。
「おや? 少し線を消し忘れてしまったぞ!?」
妖怪の不自然な棒読み発言に、雅人が『また何かよからぬことを……』と言いたげな表情で日時計のほうへ近付くと――
交点を取るために書かれた四つの円のうち、二つが不自然に繋がれた状態で残っている。簡単に言えばおっぱいだ。
それだけなら『不自然な消し忘れ』で済む話だが、その双丘の傍には名前が書かれていた。それも二人ぶん――
つまり本件は、容疑者の過失ではなく故意であると断定できる。
「あははは……」
真顔のまま声だけで笑う聖隆の前を、異世界の妖怪と、それを追う『被害者A』こと、レオノーレが駆け抜けていった。
「クラスの女子と海に来た男子中学生かっ!!」
「そんな経験あるんだ?」
『被害者B』が、いつのまにか雅人の隣に立っていた。
乃愛は左手に、あまり使われていない綺麗な英和辞書を抱えている。
「あるわけないだろ? 中学時代の俺は、妹の世話をぶん投げられてたのに」
「茉莉花ちゃん? ふたつ下だっけ」
「そう。姉ちゃんは病弱だし兄貴は年が離れてるから、俺が引きずり回されてたんだよ。それが今では『彼氏だと勘違いされるから近くに来るな』だってさ」
「世知辛いね。まあ、茉莉花ちゃん可愛いし。なんか私は距離置かれてるけど」
乃愛は知らない――雅人の妹の視線は、ある部分に向けられていたことを。
「そんなことないって。茉莉花は乃愛のこと『羨ましい』とは言ってたけど、別に悪くは言ってなかったぞ? 俺のことも『諦めて誰も告ってくれなくなる』って。可愛いやつなんだよ」
「うわ何、嘘自慢ー? ごはんに乗せるやつでしょそれー」
紗苗も妖怪退治を見にやってきた。
「少しぐらい盛ってもいいじゃないですか。ごはんだけに」
「やっぱり嘘なんだ……」
「乃愛も嘘だと思ってたのかよ!?」
事実がどうであれ、アパートの女性陣には軒並み低評価な雅人であった。
一方の妖怪退治現場では、息が上がるレオノーレに捕獲された妖怪が、悪びれることなく人間の言葉を発する。
「いい汗をかいたな! ひとっ風呂浴びるとしようか!!」
これにて朝食後のコントタイム終了と相成った。
そもそも午前は入浴タイムの予定だったのが、妖怪捕物帖の一幕でおかしなことになっていたのだ。
朝からのドタバタで疲れた表情になっている聖隆を、雅人が気遣う。
「聖隆さんは寝なくても大丈夫なんですか?」
「ああ。僕らは数日程度なら寝なくても平気なんだよ」
「なるほど。ならば今晩も楽しみだね。今晩も楽しみだね!!」
「美邑さんはなんで平気なんですか? なんで二回言ったんですか?」
「漫画家を侮ってはいけないよ雅人君! 楽しみだからだよ雅人君と聖隆氏!!」
「あの……こんなことは言いたくなかったんですが……誰か助けてください」
聖隆の哀願に応じた大家から『異世界人と妖怪の夜間接触禁止令』が発令され、妖怪退治に難渋したレオノーレも、ほっと胸を撫で下ろしていた。




