生贄王女の望むもの
【注意】性的虐待・女性蔑視・ダークな表現が随所にあります。
不快な方・15歳以下の方は、回避してください。
ものごころついたころから、わたくしは、自分が美しいのだと知っていた。
けれど、その美しさは、わたくしを幸せから遠ざけるものだった。
あわく輝く金の髪も、たれ目がちな大きな目も、ふっくらした小さな唇も。
わたくしの美しさは、男の獣欲をあおり、わたくしを搾取させるためだけにある。
大国アールバッハの王女でありながら、わたくしは男たちに貪り食われる憐れな生贄だった。
最初にわたくしの特異性に気づいたのは、ガヴァネスのコゼットだった。
コゼットもまた、美しい女だった。
けれど彼女の美しさは、彼女に愛情と繁栄をもたらすものだった。
黄金に輝く豊かな髪を隙なく結い上げ、厳かに輝くアイスブルーの瞳をもつ彼女は、ひとにらみにで男たちを大人しくさせ、唇を笑みのかたちに動かすだけで、男たちの心をときめかせた。
彼女の前に出ると、年配の大臣も、若き貴公子も、お行儀のよい少年のようにふるまう。
そして彼女に褒められたり、叱られたりするするのを大いに楽しむのだ。
けれど、そんな彼女もその美しさを無遠慮に搾取された時もあったのだろう。
男たちの目をひく美しさをもたない乳母が見逃してきた、男たちがわたくしにむける下卑た欲望に鋭く気づき、わたくしを守ってくれた。
彼女がわたくしの傍にいてくれた6歳から10歳までの4年間は、わたくしにとって唯一安全だった幸せの時だった。
それまでのわたくしは、ただ男たちに餌にされるだけだった。
心から恐怖と嫌悪を抱きながら、それが普通なのだと思っていた。
素朴な容姿の乳母は、親に決められた夫と結婚し、おたがいに慈しみあい、子を産んだ恵まれた娘だった。
乳母は、まだ6歳にもならない少女に獣欲を抱く男がいるなど、想像もしたことがなかったのだろう。
男たちがわたくしの素肌の首に指をすべらせても、胸元のドレスのリボンに触れるふりをして胸をなでても、子どもを抱き上げるそぶりで腹や腰をなでまわしても、それらの触れ方が他の子どもに対するものとは全く違うことに、気づきもしなかった。
あまつさえ乳母の目を盗んで頬や首や手を舐めた男に気づいてさえ、「あらあら。姫様は人気者ですこと」とのんきに笑っていた。
幼かったわたくしは、そのたびにおぞましさに身を震わせながら、耐えるしかなかった。
一度、乳母に助けを求めたことがある。
その男は、隣国の大使で、冷たい目をした30代の男だった。
彼は、父王の親しい従兄でもあり、それゆえ王宮のプライベートなスペースにまで入ることが許されていた。
彼はわたくしに丁重に挨拶をし、わたくしの手に口づけすることを求めた。
わたくしは彼のその目が、いつもわたくしに嫌なことをしてくる男たちと同じものだと気づいていた。
けれど、隣国の大使に求められれば、手の甲への口づけは許さなくてはならない。
おそるおそる差し出したわたくしの手を、大使はねっとりとなでまわし、美辞麗句を述べたあと、口づけた。
ほんとうの儀礼としては、手への口づけは、実際には口をつけるわけではなく、そのふりをするだけらしい。
けれどわたくしに手への口づけを求めてくる男たちは、必ずほんとうに唇を手に触れた。
そして多くの男たちは、その際さりげなく手を舐める。
けれどこの大使はさらにひどく、口づける時に舌で手をなめ、そのまま手の甲を吸い上げ、軽くかんだ。
ぞわり、と嫌悪感に身が震えた。
すると大使は「おや」と、さも誠実そうに言った。
「王女は、お具合が悪いようだ。私が寝台まで運びましょう」
「おやめください…、具合など悪くありません!」
「ですが、こんなに震えていらっしゃる」
大使は、私の頬をなでながら、腰に手をまわしてきた。
私は乳母に助けを求めた。
「わたくしは、だいじょうぶです。ねぇ」
わたくしは、乳母が大使を遠ざけてくれるだろうと思っていた。
けれど乳母はのほほんと笑って、言った。
「あら、姫様。お顔の色がすぐれませんわ。大使のお言葉にあまえて、寝室まで運んでいただきましょうよ」
「……そんな!」
「はは、私と姫は親戚ではありませんか。遠慮など無用ですよ」
乳母の了承を得て、大使はわたくしを抱き上げ、寝室へと運んだ。
大使は、その大きな体にふさわしく、軽々とわたくしを寝台に横たえた。
そして、乳母に言った。
「メイドたちに、水を運ぶように言ってくれないかい?姫君は、私が見ておこう」
乳母が笑って立ち去ると、大使は低い声でわたくしに言った。
「黙って。声をあげちゃいけないよ」
震えるわたくしの体を、大使の大きな手がなでまわす。
大使はついばむようにわたくしの唇にくちづけ、言った。
「あぁ、おびえなくていいんだよ。これは、ただ君がかわいいからするんだ。綺麗すぎる君が悪いんだよ、まだ小さいのに、男にこんなことをさせるなんて」
幸い、乳母はすぐに戻ってきてくれた。
男は何事もなかったかのように、わたくしの頭を撫でて、部屋を辞した。
数日後、大使は隣国へ戻ったし、その時はそれ以上のことはされなかった。
けれどわたくしは、乳母は……周りの人間はわたくしを助けてくれないのだと悟った。
そして、大使が言った「綺麗すぎる君が悪いんだ」という言葉は、呪いのようにわたくしに染みついていた。
乳母に育てられる時期がすぎ、女家庭教師であるコゼットが侍るようになって、その呪いは一時薄らいだ。
コゼットは、乳母のように男たちの欲に鈍感ではなく、さりげなく男たちをたしなめたり排除したりする術に長けていた。
まなざしひとつ、笑みひとつで男たちを操る彼女は、わたくしの最高の守護者だった。
お母様が生きていれば、彼女のようだっただろうか。
そんなことを、何度も夢想した。
けれど、彼女はわたくしが11歳になる前に、この国を去った。
ここよりもずっと大きな国の王弟が、彼女をどうしても妻にと乞うたからだ。
コゼットの2歳年上の王弟は、精悍なハンサムで、評判も悪くない男性だった。
女性関係だけは華やか過ぎたものの、コゼットに出会ってからはコゼットを唯一と想い定め、ただただコゼットを乞うた。
近年没落ぎみのアールバッハが、そのような求婚を断れるはずはない。
コゼットはわたくしのことを気にかけながらも、彼のもとへ嫁いでいった。
彼女は、かの国で王弟に愛され、3人の子に恵まれ、幸せに暮らしていると聴く。
王弟のコゼットへの愛は、本物だった。
けれど、その出会いは仕組まれたものだった。
コゼットは、大きな翼で、わたくしを守ってくれた。
あの大使が言ったように、わたくしの美しさは、男を惑わすのだろう。
けれど目の前にわたくしがいなければ、あるいは手出しをする隙がまったくなければ、多くの男たちは一瞬の獣欲を飼い殺せるようだった。
そうはいっても、例外はあったのだ。
わたくしをいいように扱うために、コゼットを排除しようと画策する男たちも、一定数いたのだった。
コゼットを崇拝する男たちも多かったから、安易に彼女を排除することはできなかったのだろう。
彼女が断れないような縁談を持ち込み、彼女をわたくしから遠ざけようとした。
コゼットは悪意のない求婚も数多くされていたから、彼らの画策に気づかなかったのだろう。
けれどわたくしを守るために、あれこれと理由をつけて、求婚を退けてくれていた。
そんな彼女ですら、かの王弟の求婚は断れなかった。
異国の王族となり、わたくしの傍から彼女が離れた途端、それは起こった。
祖父である先代王が、病気だと聞いて見舞いに行ったわたくしを襲ったのだ。
それからは、地獄の日々が続くばかりだ。
先代王は1年もしないうちに亡くなったが、その時にはすでに、わたくしを貪る男の中に、父王が加わり、兄王子が、あの大使が、加わった後だった。
優しくしてくれた公爵子息も、わたくしをお嫁さんにしたいと言ってくれた年下の侯爵子息も、彼らにそそのかされれば獣の仲間となった。
わたくしに執着し、たがいに牽制しながらも、彼らはその罪の重荷をわけるかのように、仲間を増やす。
そんな彼らの様子を見て、護衛の騎士や、従者までもが、彼らの目を盗んでわたくしをむさぼろうとした。
それは、わたくしの背が伸び、胸が膨らむほどに、苛烈になる地獄だった。
「綺麗すぎる君が悪いんだ」
……彼らは、いつもそう言う。
そうして、17歳を迎えた今。
わたくしは、異世界からくるという「勇者」への捧げものにされようとしている。
3か月前、アールバッハでいちばん高い山の頂に、赤紫の巨大な卵がとつじょ現れた。
神学者たちによると、それは恐ろしい災禍をひきおこすグラ龍の卵だという。
グラ龍を倒すためにできることは、ただひとつ。
異世界より「勇者」を招き、卵がかえる前に滅することだと。
当初、父王たちは神学者の言葉を疑い、兵を率いて卵を割ろうとした。
けれど赤紫色の卵は、この世のものとは思えぬほど硬く、重機を使用しても、爆弾を使用しても、ひびひとつ入れることはできなかったらしい。
思考錯誤の結果、父王たちは神学者の言葉を聞き入れ、勇者を招くことを決めた。
勇者を招く代償は、ひとつ。
この世でいちばん美しい娘だという。
「王女を犠牲になど、できぬ!」
「王女を、得体のしれぬ異世界の男になどやれるか!」
代償がわたくしだと聞いて、父王たちは勇者の召喚をはばもうとした。
けれど卵は日に日に大きくなり、国民からは王家の対応に不満の声があがった。
その声が大きくなると、父王たちは態度を翻した。
「異世界から招き、危険な真似をさせるのだ。勇者には、そのくらいの報奨が必要であろう」
「そうですね。それに、我々ではかなわないドラゴンの卵を倒すほどの実力がある勇者を野放しにはできません。王女の美しさなら、危険をおかした甲斐があったと勇者も喜ぶだろう!」
男たちは、口々に言う。
そして、父王はわたくしの顎をつかみ、優し気に笑った。
「お前は、いつも私たちの期待にこたえてくれる孝行な娘だ。お前を他の男にくれてやるのは惜しいが……、お前ほどに美しい娘であれば、勇者も喜んでわれわれの仲間になるだろう。われわれのために、国のために、勇者の妻となるがよい」
わたくしが否ということなど、想像もされていない。
彼らにとって、わたくしは、貪りくらうだけの美しい人形。
まるで、コゼットが読んでくれたお話に出てきた生贄のようだ、とわたくしは思った。
もっともお話に登場した生贄の娘は、愛する両親や村の人々を守るために望んで鬼に食べられたけれど、わたくしは愛する者もなく守りたいと思うものもない。
それに異世界からの「勇者」への生贄になるまえに、すでに貪りくされて、夢も、希望も、あたたかな気持ちも、なにもない。
あるのは、絶望と汚泥にまみれたこの身だけだ。
神学者たちの助言のままに、勇者召喚の儀式は執り行われた。
厳かな表情でそれを見守っている父王たちは、昨夜遅くまで、最後だからとわたくしをむさぼっていた。
王家の教会の祭壇には謎めいた文様が描かれ、いたるところでかがり火が燃えている。
あかあかと燃えるかがり火を見つめながら、わたくしは思った。
こんな国、滅びればいいのに……!
わたくしの心は、もうとっくに死んでいた。
男たちに肌を貪られ、奉仕を強いられ、女たちには存在をなきものとして扱われる。
勇者が来るなら、来ればいい。
わたくしを妻にするなら、すればいい。
例え異世界に連れ去られ、ドラゴンに食われようとも、この地獄が終わるのであれば、それでいいのではないか。
あるいは勇者が来ず、この世界が滅びても、それが何ほどのことか。
我が身の地獄が終わることに、違いはないのではないか。
祭壇に描かれた文様を、ひたすらに見つめる父王たちを見つめながら、そう思った。
その瞬間。
祭壇の上に、男が現れた。
男はアールバッハの男たちより頭ひとつは大きく、どこもかしこも厚い筋肉を誇る肉体をもっていた。
男が身に着けていたのは、ゆったりとした下穿きのようなものだけだった。
素肌の上半身には、祭壇に描かれていたのと同じ文様が浮き出ている。
「勇者よ、よく参られた」
父王が、かすれた声で言う。
勇者は黒い長い髪をうっとうしげにかきあげ、金の目を光らせて父王を見た。
「お前の望みは、なんだ?」
「来て早々で申し訳ないが……、あの山頂にあるドラゴンの卵を破壊してほしいのだ。できるか?」
「報酬をいただければな。それが勇者の仕事だ」
男は、父王が示したドラゴンの卵を見て、あっさりとうなずいた。
飄々とした勇者の態度に一抹の疑いをもちながら、父王は重々しくうなずいた。
「あぁ。この世でいちばん美しい者を、貴殿の妻にさしあげることを誓おう」
「その言葉をたがえたら、お前の首を折る」
勇者は、父王をじっと見て、言った。
父王は、ぎこちなくうなずく。
「あぁ。私は、この国の王だ。その地位と名誉にかけて、約束を守ることを誓う!」
「わかった。ならば、あの卵を壊してくる」
そう言うと、勇者はふわりと飛び上がった。
「なっ……、と、飛んでる?」
王も騎士も、口々に騒いだ。
神学者たちは冷静に、勇者は異能をもつこと、空を自由に駆けるのもその能力の一つだということを説明した。
「空を飛び、巨大な力を持つ男か……。やつをこの国のために働かせれば、どれほど役にたつか」
王たちは、くちぐちに勇者を取り込むことを語りだした。
異世界の人間を召喚した興奮のままに、王たちが勝手な算段を語っていると、勇者が舞い降りてきた。
「終わったぞ」
証拠とばかりに、勇者は大きな赤紫色の卵の殻を、その場で砕いて見せた。
「おぉっ、これはまさしく……!」
「あぁ、窓を見てください!さっきまであった卵が跡形もありません」
「なんと、こんなにすぐに片付くとは……!さすが、勇者である!」
王たちがどよめくと、勇者はふっと笑みをうかべた。
「さて、報酬をいただくぞ」
楽し気なその声をきいて、王たちはわたくしを見た。
舐めるようにわたくしの体を見て、惜し気な表情をうかべる。
けれど一瞬でその表情を押し隠し、かわりに自慢するかのような笑みをうかべて、わたくしを勇者におしだした。
「どうぞ。彼女こそが、この世でいちばん美しい……アールバッハの王女です!」
「なるほど、これはこれは美しいな……」
勇者は、わたくしの頬を両手で包み込んだ。
そして、じっとわたくしの目を覗き込む。
観察するかのような視線を、まっすぐに受け入れた。
勇者の目は、ごく当たり前のものを見るようにわたくしを見ていた。
頬にふれるその手は、常の男たちとは異なり、何の欲望の色もなかった。
勇者は、わたくしの耳元に顔をよせると、そっとささやいた。
「だいじょうぶだ。ずいぶん辛い目にあったんだな。だけど、良い子はご褒美がもらえるって相場が決まっているんだよ」
「え……」
「王よ」
勇者は私から手を離すと、父王のほうへと歩いて行った。
「私が報酬にするのは、この世でいちばん美しい者。それを決めるのは、私だ」
「なっ……、王女になにか不満があるとでもいうのか」
「そうだ。私が望む報酬は、……お前だ!」
勇者は叫ぶと、目の前にいた王をその腕に抱いた。
慌てて王は逃れようとするが、勇者の剛腕にかなわないようだった。
周囲の騎士たちが王を助けようと動いた瞬間、勇者は父王をその腕に抱いたままふわりと浮かびあがった。
「悪いが、王は私の国にもらっていくぞ。……ま、王がいないのではお前たちも困るだろうから、そこのお姫さんが次の王になればいい。その姫が王として幸せに暮らしている限り、この国は嵐からも干ばつからも守られ、豊かな実りに恵まれると約束しよう!」
勇者は、笑いながらそう宣言する。
「なにを言う!ただの勇者に、そんな力があるものか!」
父王は、勇者にとらわれたまま叫ぶ。
すると勇者は大きく身をそらせた。
次の瞬間、勇者の背に、金色に輝く大きな羽が出現した。
神学者たちはそれを見て息を飲み、次々と頭を下げた。
「あなたは……、勇者ではなく、この世界を見守ってくださる神リューイーン様であらせられるのですね」
「おぉ……、まさかこの卑賎な我が身が、神のお姿を拝見できるとは……」
床に頭をなすりつけて口々に言う神学者たちに、勇者は鷹揚に笑った。
「私に会えた喜びを語るなら、王女を支えてしっかりと働け。世俗から距離を置くお前たちは気づいていないようだが、この国は最低の獣の国と化している。だからあんなグラ龍の卵なんかが生まれたんだ。このままでは、またグラ龍の卵は産まれるだろう。救われたいのなら、我が言葉を聞き入れ、王女を王とし、彼女の身も心も守っていけ。それがこの国とこの世界を救う手立てとなるだろう」
「王……、わたくしが?」
この人は、何を言っているのだろう。
ステンドグラスの青い光を背負って輝く「勇者」に、わたくしは視線を定めた。
「わたくしは……、わたくしには、なにもありません。価値があると評価されるのは、この顔と体だけ。そんなわたくしが、どうして王になどなれましょうか」
とまどい、まどうわたくしに、勇者は微笑んでくださった。
「君が王となれば、この国にはとびきりの祝福を与えてあげる。だから、後は自分で考えるんだ。君が辛い思いをしたというのなら、そんな想いをする人間がいなくなるように。誰かを守り、支えられるように」
「守る……?わたくしが、ですか……?」
「そうだ。コゼットの翼の下で、君が安らげたように。次は、君が誰かを守るといい。……あるいは」
勇者は、いえ、リューイーン神は、まるで悪魔のように美しく笑って、言った。
「君を今まで貪ってきたものたちに、罰を与えても、いい。君が望むなら、彼らに死を与えるのも、いたぶり続けるのも、私が力を貸すよ」
リューイーン神は、誘惑するかのように金の目でわたくしを見つめる。
それは、わたくしの中に眠るなにかを呼び覚ますような視線だった。
わたくしは……、貪りつくされ、自身には夢も希望もなにもないと思っていた。
けれど今、この身にわきあがる想いがあった。
ふつふつと、腹の下から湧き上がる望み。
ずっと、ずっと奪われ続けてきた。
大きな力で押さえつけられ、嫌だということさえ許されなかった。
コゼットに守られていた時だけ、その暴力から逃れられていた。
わたくしには、なにもないと思っていた。
ただ絶望だけがあるのだと……。
けれど、いま、リューイーン神が、わたくしに助力をくださるという。
神が、わたくしを助けてくださるのだ。
わたくしが望むことなど、簡単に叶えてくださるだろう。
であれば、わたくしは……。
「望みを、叶えてくださるのですか」
背筋をのばして、まっすぐに、リューイーン神を仰ぎ見た。
リューイーン神は、「もちろん」とうなずいた。
「言っただろう。良い子にはご褒美があると」
父王が、顔を青くする。
わたくしの周囲で、悲鳴があがる。
そっとわたくしの傍から逃げようとする男たちがいる。
それを、神学者たちが不思議そうに見ている。
逃げようとしているのは、わたくしを貪った男たちだ。
あるいはそれを見逃し、貪られるわたくしをつまはじいた人たちだ。
逃げるなんて。
わたくしに恨まれているという自覚はあったのね。
虐げられ、ただただ奪われるばかりだったわたくし。
コゼットによって、一時守られたわたくし。
けれど庇護の翼がなくなれば、また男たちに貪られるわたくし。
そんなわたくしが強大な力を得て、望むことは……。
「わたくしの望みは……」
アールバッハには、中興の王として名高い王がいる。
その王は、アールバッハ初の女王で、たいそうな美貌の持ち主だったという。
彼女は神学者を重んじ、弱者を守る法の整備に力をいれた。
一方で罪を犯した者には、苛烈なまでに罰を与えたという。
一説によると、彼女が王位を継いだ際、王家に近しい人々が一斉に亡くなったのは、彼女の処刑によるものだという。
近隣諸国に散らばっていた親戚も含めた王族の男性のほとんどが亡くなっていることをかんがみると、さすがに真実ではないだろうが、それほどまでに彼女の治世において、罪を犯した人間への処罰は苛烈だったという。
しかし、彼女が治めた60年、アールバッハでは一切の天変地異が起きず、作物は豊かに実り、国は飛躍的に富んだという。
今は名が残っていないこの女王は、アールバッハではただ「女王」と呼ばれ、伝説のように語り継がれている。