第五章 第7話 粒子人間・強襲
この物語は残酷な表現が含まれております。ご注意ください。
シンは包帯を巻き直した。
傷だらけの身体から血でにじんだ包帯を清潔な新品に取り替えていた。
包帯を一通り取り替えると、シンは黒衣を纏った。漆黒のプロテクター。ケブラー繊維とノーメックスを混合した特殊な防具を身につける。そのスーツの上にボディアーマーが付けられる。
そして、カラスのマスク。
黒地の布に白で描かれたワタリガラス。
不吉さと守護の意味が含まれた紋章をシンは顔に纏う。
「……すまなかったな。予定より治療に時間がかかった」
ユキに対してシンは謝罪の言葉を口にする。無骨な口調だが誠意があった。
「いえ、……それよりシン。無茶は駄目よ」
「分かっている」
不意に部屋の扉をマリンが開ける。
マリンはシャドウとしての姿をみてぎょっとした顔をする。
漆黒の出で立ちと威圧的な外観。それらは歳若い女の子を動揺させるには十分な効果があった。
「……え、……あ」
「落ち着いてマリア。彼は味方よ」
ユキはマリンを落ち着かせようとした。
「え……」
「すまない。遅くなったシンの代わりに俺がお前を守る」
シンは別人のふりをした。そうせざるを得なかった。
シンは可能な限り自分の正体を隠しておく必要があると考えた。シンにとって『シャドウ』の顔はSIAの面々を除けばほんの一握りにしか明かさないようにしている。警察の重要な人物や行動を共にした者。SIAに匹敵する大国の特務機関にいる人物。それらのケースを除けばシンは『シャドウ』としての顔を隠していた。そのため、シンは一般社会ではただの退役軍人としか思われていない。それが必要であった。
「……シンさんは……」
「無事だ。怪我の治療が手こずっているようだが」
「……そう」
「君のせいじゃない。今は生き残る事を考えよう」
「…………でも、私のせいで」
「…………君と同じだよマリン。俺も自分を責める時がある。だが、……俺の大切な人たちはこうも言ってくれている。……自分を責めるより生きてくれている方が幸せだと」
「…………私は」
「君だっている。現にシンとユキは、君の身の安全を案じていた」
「そう……なんだ……」
「……俺の力では不十分かもしれない。だが可能な限り力を尽くす」
「…………」
「マリン。君は元アイドルかもしれないが、それ以上に一人の女の子なんだ。俺はその一人の女の子を救う事を諦めない。だから、君も君自身を諦めないでくれ」
「…………ねえ」
「どうした?」
「怖くないの?」
「…………何?」
「人を救うという事は、助けた人に裏切られるかもしれないの……あなたはそれが怖くないの?」
「……怖くないというわけではない」
「ならどうして私を?」
「シンと俺は表裏一体だ。シャドウは人間を守るためにシンのもとにいる。シンはお人好しなくせに無力だ。……だからこそ、俺は……助けられたはずの人を見捨てたくない。シンのためにもな」
「それで『シャドウ』を名乗っているの?誰かの影であるために……」
「かもしれない。ただ、後悔したくない。後悔は……もうたくさんだ」
「あなたもシンさんと同じ軍隊にいたの?」
「ノーコメントだ」
「ごめんなさい」
「いいさ。それより、お前も誰かを救いたいという気持ちがあったのだろう。……おれはそういうことは悪い事じゃないと思っている」
「……もし、この気持ちが偽物だったら?自分が気持ちよくなるためだけの気持ちだったら?……私にはもう……わからないの」
マリンは俯く。そして消え入りそうな声で自分の恐怖を告白した。
シャドウ――マスクのシンは真摯な表情でマリンに向き合った。
「本物か偽物か?俺には分からない。何かを打ち倒す正義とはその時々の状況で変わる。そして立場でも変わる。けれど、変わらないものもある。救う事は絶対善だ。俺はそう信じている。手を差し伸べるだけが正義じゃないとしても、『救う事』自体が『偽善』だとは思わん。打ち倒すだけの正義は『取り返しのつかない偽善』になりうるが、救おうとした行動は『真実』に向かうと俺は信じている。常に」
「あなたは……強い人なんだね」
「俺が強いんじゃない……俺を、無条件で信じてくれた人たちがこの世でもっとも『強かった』んだ。そして優しかった」
「……その人たちは?」
「死んだ。……俺の……身代わりに……」
「……そんな」
「だが、彼らが託したものだけは生きている。俺はそう信じている」
「……でも」
「もちろんこれは俺の意見に過ぎないから、反論もあるだろう。だが、生きて誰かを救う事は間違いだとは思わない。……違うか?」
「…………ありがとう」
マリンの顔に一雫の光が流れた。
希望。
悲しみすら飲み込んだ生きる事への渇望。
マリンの生きた雫が頬を濡らしていた。
サイトウは警戒した。
相手が惑星から出てこないなら、何らかの手段に出てくる事を予期していた。それはルイーザも同意見で宇宙港の周辺にいる人間に目を光らせていた。
「…………あんたの職場はずいぶんと個性的ね」
ルイーザの青の瞳がサイトウ中尉の姿を映す。彼の顔はうっすらと傷がある。特に右目と右の頬の辺りに痕が少し残っている。
「アオイの事か?」
「ええ、アディから聞いたわ。……もっとも『サソリ女』のアディに言われてもね……」
「アディ自体は元々普通の人間だった。彼女は後天的にメタアクト能力に目覚めた。それだけだよ。彼女はまだ常識的な方さ」
「……ちなみにあんたは?」
「女の子の匂い最高」
「このド変態め」
「ありがとうございます」
「このマゾ野郎」
「もっと罵ってください!パツキンのお姉さん」
「冗談じゃない!」
「まあ、いざ戦闘になったら真ん前で戦うから心配するな」
「……あんたはメタアクター?」
「いや。俺は傭兵アンド軍隊上がりのマッチョメンなだけだ」
「そう。でもあいては能力で正面からねじ伏せるタイプかもよ?」
「それなら最高だ。レオハルト直々の武装をもらっている」
「それがその銃?」
見た目だけだとごつい小銃にしか見えない。だが、大きさ自体がかなりのものである事に加え、擲弾発射器にみえる装置と短剣を装着した状態であり、なかなか威圧的な見た目をしていた。
「あんたの武装は?不安なら持ってきてやる」
「これでいい」
ルイーザはリボルバーをくるくると回していた。腰元のホルスターに器用に仕舞う。曲芸さながらであった。
「器用だな」
「どーも」
ルイーザはまたセクシャルな言動が出てくるかと身構えたが、サイトウは真面目な口調でルイーザの銃を見た。
「……リボルバーか。火薬の回転式拳銃。しかもそれは、再興暦以前のものじゃないか?会社は……ウィルソン社製か」
「……よくわかったね。M10モデル。ウィルソンの警察用モデルね。装弾数五発。警察用拳銃の原点ね」
「いまとなっては骨董品だが、俺としても嫌いじゃないぜ。いいセンスだが……鉛玉を船内でぶっ放しても大丈夫なのか?船内の防弾ガラスをぶち破りそうだが……」
「べつに船内の内壁を壊す訳じゃないから問題はないわ……それにあたしの『能力』としてはこれがベストよ」
「…………なるほどな」
拳銃と彼女の頭部。わらわらと半透明の妖精がいた。ファンタジー小説に出てくるようなピクシーが気ままに飛び回っている。
道行く人は気づいていない。端末のアプリとかゲームとかのホログラムかなにかのように思っているだけだ。
「さて、『偵察』させるわ」
「……いや、その必要はなさそうだ」
ルイーザが怪訝そうな顔をする。サイトウの表情がさっきまでの緩い状態から兵士の顔に変わっていた。銃も構えている。ルイーザがサイトウの視線の先を追うと、先ほどの言葉の意味を否が応でも理解する事になった。
「……冗談きついぜ」
「……そうね」
兵士たちが機関銃を撃つ。威嚇ではない。明らかに殺すために粒子の弾丸を放っていた。だが、粒子の弾丸は『一人の女』のもとに収束する。
そして放たれる。
武装した人体を死の光線が冷徹に切り裂いた。悲鳴と恐怖の旋律が宇宙港を埋め尽くす。パニックが場を支配した。
「シャァァァァドォォォォォォォ……」
「…………あれは……」
敵は一人だった。そして、この世の何よりも凶暴な無法者であった。
「……はは、まさか……ムギタニ・シズカ……かよ……」」
「…………死んだかと思ったわ。アズマのヤクザにずっと狙われていたってきいたけどさ。まさか、あんな『獰猛な危険生物』をここに放つなんてね……」
「畜生が!対車両砲とかねえのかッ!?どこかにッ!?」
「……」
ルイーザが銃を構えながら物陰に隠れた。
サイトウは警報を鳴らしてから、ムギタニに銃を向ける。
「おい!止まれ……」
サイトウはあぜんとした。
目の前の女は撃たれていたのに平然と立っていた。しかも片手で半分になった兵士の上半身を引きずりながら、今まで戦っていたのである。兵士の上半身をサイトウの前に投げつける。
サイトウは身を翻し、持っていた銃の引き金を引く。
「なんだこの女ァァアアッ!?」
機械の駆動音が響いてから、粒子が放たれる。ドロイド型兵器用の小銃が駆動し大口径の弾丸を放つ。
「無駄なんだよぉ!!シャドウを出せぇッ!!」
光。粒子の束。電子の高出力の刃が弾丸ごと壁を抉る。それと同時に壁越しの小型の船舶がバラバラに分解された。複数回の爆発が伴い、停泊していた小型船舶が煙をあげて炎上する。サイトウはとっさに回避していた。ヒットアンドアウェイで安全に仕留めようとしていた事が功を奏す。
スプリンクラーが作動し、ドロイドが消火にあたる。
「ヒャッハハハハハハ。アイドル崩れとカラス男はドコかなぁ!?今日は絶好の破壊日和だぁッ!この港をスクラップにしてやるェアアアアッ!」
正気の沙汰ではなかった。ムギタニに邪悪な笑顔が浮かんでいる。
宇宙港はおおよそ二種類ある。地上停泊場と衛星軌道上の格納施設。二つは大抵、軌道エレベーターで接続されている。クラインは衛星軌道の停泊施設にあった。
そして、そこが破壊されるということは、その中にいる全ての人間が宇宙空間に投げ出される事を意味していた。あるいは残骸ごと流星になると言う結末か。
「この女はいずれにせよ正気じゃない!俺たちだけでもやるぞ!」
「しかたないわね。この手の馬鹿はいつの世も尽きないわね」
笑いながら常軌を逸した殺戮を繰り返すムギタニの前に二人の強者が前に出る。
既に『戦闘』は始まっていた。二人組と一人。互いが互いの動きを読みあっていた。
ルイーザとサイトウの額に冷や汗が流れる。
寒さが続きます。運動と暖かい食べ物を心掛けております。
今回は『シャドウ』が軍や警察以外の一般社会ではどの程度正体が割れているかを描写しました。そして、また再登場しました。女ヤクザ、ムギタニ。過激で殺戮も辞さない彼女に二人はどう挑むか。
次回もよろしくお願いします。




