第四章 最終話 シャドウ・オリジン
この物語は残虐な表現等が含まれております。ご注意ください。
季節は冬に近づいていた。枯れ草と葉のない木々が増えたある日の事である。
戦いと恐怖の日々が遠ざかり、シンとユキは外を出歩く事ができるようになっていた。公園の様子は変わらなかった。シンが精神安定のためにしばしば訪れる公園は季節の変化こそあれど雰囲気の変化はあまりなかった。
「……イプシロンはリハビリができるようになったみたいよ」
「そうか。……ちょっとでも元気になるといいな」
「イプシロンだけじゃない。ミサお姉さんやカズのところにも行かないとね」
「ああ」
「……あの時の事、怒ってる?」
「……いや。お前もお前の立場があるしな」
「……本当はさ。シンの言う通りにしたかったの。でも、タカオの言葉を思い出したら、……なんかね」
「……タカオ兄貴?」
「ロプロックの調整中にね。電話、かかってきたの」
「……電話か」
「……シンを人殺しにしてもいいのか?刑務所に行く事になってもいいのか……って」
「……兄貴も苦しんでいた。その事は分かっている」
「うん。だから私悩んじゃった」
「そうしたら、カールが見計らったように?」
「うん。投下する爆弾を笑気ガスの噴霧装置に変更しようって。あとは……あなたが聞いた通りよ」
「すまないな。ユキ、迷惑かけた。お前にも任務があったのに」
「気にしなくていいわ。確かにジーマ側の利害はあったけど、今回ばかりはそれ以上にあなたを救いたい気持ちが大きかった」
「そうだな。軍事機密同然のドローンを引っ張りだしてくれたしな」
「パルドロデムの時は人の命がかかってたからね」
「そういえば、ミクとエミは?」
「ロウゴク中とは別の学校で勉強の日々。でも、ここより楽しいらしいよ」
「良かった」
「……ねえ、シン」
「なんだ?」
「シンにとって、エミはどんな人?」
「土壇場で友のために戻ってきてくれた人」
「……もし戻ってこなかったら、あなたは殺していた?」
「…………わからない」
「……きっとタカオさんは……」
「俺は、……ここに戻る前にも人を殺していた。少年兵として」
「……」
「俺は……殺しの経験を積んでしまった。罪の意識は確かにある。今回の事だって、そういう気持ちがないと言えば嘘だ。……でも、だからといって、仲の良い人間を見捨てたくはない。そのための戦いだったんだ。分かってもらおうとは思わないが」
「……そうね。……うん、シンはそういう人だもんね」
「ああ」
「……私がもし、これから先、なにか苦しんでいたら、シンは私を助ける?」
「当然だ。ユキは俺の相棒だからな」
見知った文字の読み方を答えるように、シンは即答した。ユキは次第に柔らかな笑みを浮かべて、シンにお礼を言った
「……ありがとう。楽しみにしてる」
「苦しまないのが、一番だがな」
「ふふ、そうね」
「そう言えば、カズの回復は?」
「肉体的には順調よ」
「肉体的には?」
「……精神的にはまだ立ち直れてはいない」
「……そうか」
「……」
「ユキ。アイツのいる病院は?」
「すぐ近くの大学病院」
「なら決まりだ。近いうちに、アイツと顔を合わせたい」
「そうね。私もいっしょにいってもいい?」
「もちろんだ」
シンは家族の前で見せるような穏やかな顔をした。鋭さのない優しい目。シンは素の表情をユキに見せていた。
夜。タカオはある人物に出会っていた。
カール・シュタウフェンベルグ。アスガルド軍の特務機関、第三情報機関直属、特殊脅威迎撃隊の長官その人。
この人物は多くの記者にもみくちゃにされた後、度数の強い酒をちびちびと飲んでいた。タカオも酒に口をつけつつも、会話を続けるため多くは飲まなかった。
「……いつの世にも居るヤツだが、子供の命と金。もしくは子供の命と自分の安全を天秤にかけて、平気で子供を犠牲にする道を選ぶヤツが多すぎるな。そう言うヤツがどっちも手に入らないという間抜けな結末を見るんだが……」
「……それでとばっちりを食う事ばっかでうんざりします。現場の人間に理解がないバカばかりなのがこの国の汚点で……」
「いい。……そう言う事は俺の国にも覚えがある事だ。お互い大変だな。……つくづく思うが、お前さんはなまじ頭が良いから苦労してそうだな」
「ええ、苦労しています。カールさんに今回は多く助けてもらいました」
「気にするな。これも仕事だ。……シンのことで聞きにしたのだろう」
「察しが早くて助かります。……シンとどんな話を?」
「取引」
「……いったいどんな?あなたの部下になるとでも?」
「どうしてそう思った?」
「あなたがよその戦争に加担する時は借りを作る時です。武器弾薬の取引でなければ、シンを将来の兵士にしようとする算段だと考えたまでです」
「鋭いな。相変わらず、先読みのできる男だ。下手な詐欺師より頭が回る男だ」
「……ふざけないでください。私はシンを兵士にするつもりはありません」
「おおっと、勘違いするなよ。シンの方が俺に取引を持ちかけたんだ。俺はそれに乗っただけだ」
「……そんな言い訳が」
「俺が、役人みたいな言い訳をするとでも?」
「……まさか、そんな」
「事実だ」
「……」
「それより、リョウってヤツはとんでもない悪だったよ。『生まれついての悪』ってこう言うヤツなんだなって思ったよ」
「彼は何と?」
「ただ笑っていた。そしてこう言ったよ。『大人たちはバカだな。少数の犠牲で人間を宇宙の覇者にできるというのに、くだらない感情論と古い規則で新しい可能性を摘むとはな。『感情は資源』になる。ならば、我々の側が管理するのが筋ってものだろう?』ってな」
「…………バカは自分自身ですらバカだって気づかないものだ」
「そこは賛成だがな。頭を冷やせ。リョウは自分が『抜き取るもの』の代わりをすれば神になれると思い上がっていたのさ。なれたのは神じゃなく……」
「――囚人になっただけ。だからそれをバカって言うんです」
「……大事な事が一つある。どこかの連中が自分以外を生け贄に差し出そうとしている。公益のため、宇宙の保全のためと称してな。俺たちはそいつらを法の名の下に処刑する必要がある」
「……そうだな。そこは否定しない。でも、それとこれとは別です。どうして俺の弟が?」
「バルザックだよ。よりにもよってあの家の忌み子とシンは親友同士だった。この時点で察しているだろう」
「…………」
「シンのことは大体分かった。アイツは親しい者の幸福のために、社会正義とも戦える人間だよ。ああいう人間は放っておいても社会と衝突するものだってお前さんも予想しているだろう?なら、鍛えてやった方があいつのためだ」
「正義と戦う?」
「そうだ。それがシンって男の本質さ。親しい人間を守るために戦う事がアイツの本質だよ。正義のために戦うやつは多い。オレの軍は特にな。歴史が歴史だからな。だが、正義ってやつは厄介だ。知る限り二つの道がある。社会のための機械の道。そして、親しい命のための戦士の道。どっちも辛いが、『戦士の道』は『機械の』比じゃない。……救うために正義とぶつかるからな。選ぶ人間自体が少ない」
「……シンはどうなるのです?」
「……俺が面倒を見る。心配するな。死なせないように配慮するからな」
カールはそう言って年代物の蒸留酒に再び口をつけた。タカオもまた酒の入ったグラスを飲み干した。外は暗く、町の灯りが二人をわずかに照らしていた。
カズはベッドの上で震えていた。悪夢によって、トラウマによって。何度もよみがえる恐怖によってカズは震えていた。
シンとユキが病室に入った後も震えていた。
「……カズ」
「…………許して……許して……」
面会時間は多くなかった。日が暮れてからでも会話すら困難であった。
「…………もう、終わったよ」
「……シン……僕……怖くて……怖くて……」
「もう大丈夫だ。……大丈夫だ」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「カズ……悪くない。お前は悪くないんだ。もう自分を許していいんだ」
「…………でも、……殴られて……」
「殴るヤツが悪いんだ。お前は悪くない」
「悪くない……?」
「そうだ。よく頑張ったね。カズ」
「うん。シンの言う通り。あなた話で聞いた以上に真面目な人だってわかる。……シンの言った以上よ」
ユキがフォローを入れてくれた。タカオの表情が柔らかくなる。
「そうだな……」
そう言った後、カズは泣いた。
目からいくつもの涙を流した。小雨のように目から雫がいくつも流れた。
「……僕、……頑張れば頑張るほどいじめられる……それが……怖かった……どうして……どうしてって……いくら考えても助けてもらえなかった。でも、ようやく助けてくれる人が来てくれた……嬉しかった。……しかも褒めてくれるなんて……父も母も忙しくて、兄弟も多く居て構ってもらえなくて……でも、ようやく褒めてくれた……自分はようやっと認めてくれた人を見つけたんだって……、だから……僕は……うれしいんだ……」
「そうか。……何回でも褒めるさ。友達がうまくやったらそれは『いい事だ』っていうのは、……友達の役目だろ?俺はそう思うんだ」
「そうね。……それが普通なのね」
「おれにとっては」
「カズにとっても大事な事よ」
「ああ」
「……シン。タカオさんから聞いたけど。外国に行くの?」
カズは、いつものような穏やかな顔でいたずらっぽい笑顔を浮かべた。
「ああ、近いうちに」
シンも自然と笑顔になる。
「アスガルドでしょ?」
「そうだ」
「近くに来たら連絡するよ。僕も語学の勉強でアスガルドに行くから」
「ありがとう」
「また会いたいな」
「私も」
ユキも寂しそうな顔をした
「……またみんなで、ご飯でも食べよう」
「ああ……約束だよ」
「うん。そうだね」
少年のような笑みを浮かべながらシンたちは病院を出た。シンはしばらく外を出歩いた後、自宅へと帰る事にした。その途中、シンは空を見た。
一等星。かすかな空の光が、確かにあった。
シンにとっては、そのかすかな輝きが宝石のように美しく思えた。
シンの話を聞いた後、ジャックは酒を仰向いて飲んだ。
話の残酷さもさることながら、その地獄を中学生程度の少年の身で乗り越えなければならなかったことも、ジャックには辛く感じた。
「……あの後、ヤマオウとレッドスピリットの連中はどうなった?」
「……ヤマオウ組は十年間、重大な弱体化をしたし、レッドスピリットに至っては影も形もない。それが救いだ」
「……なあ、シン」
「なんだ?」
「高校は……どうだった?」
「アスガルドの高校……か。楽しかった。嘘みたいに平穏で、友達も何人か出来た。みんないいヤツだ」
「そうか……よかったな」
「ああ、……ありがとう……」
「……でも、どうして俺にそんな話を?」
「……ジャックはレオハルトと仕事で縁があったろ?」
「ああ、俺の父とマリー・オルガ大佐は知り合い同士だった。戦時中は上官と部下の間柄だったのさ。その時からの縁だ。とんでもない因縁だよ」
「そうだな。とんでもない縁だ。だから信用して話した。前に俺の素性に興味があるっていったろ?だから話した」
「……少しだけ後悔している。……中学生くらいの少年が背負える限度を超えて戦ってたなんて……」
「もう気にするな。……俺は気にしていない。……ただ」
「……ただ?」
「カズや巻き添えになった人や、ミクをもっと早く助けたかった。……そしてなにより、ミッシェルやお母さんを失いたくなかった。……それだけが心残りだ」
「……だろうな。…………だからカラスを……」
「ああ……」
「…………」
「でも、……彼らのために戦った事は後悔してはいない。どんな結果であれ、俺は自分の信じた事のために戦った。それだけは今でも誇りに思っている」
「……そうか」
「…………もう少し飲みたい。しばらく仕事も開いているしな」
「……ところでさ」
「なんだ?」
「サワダとデミトリのことだが……」
「……まだだ。……『リセットソサエティ』にいるらしい。それだけしか分からない」
「……そうか」
シンはグラスの酒を飲み干した後、屋上にゆっくりと上がっていった。
寒空の下、ジャックとシンは空を見上げていた。
「……変わらねえな……星空は」
「変わった事もある」
二人はただ、そう呟いた。
本作品は『孤独なる人間』をテーマに様々な物語を展開していきます。
次回もよろしくお願いします。




